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【お試し編】『金銀妖賭譚 博徒狸と堕福の賭場』

こちらはお試し版です。続きは有料版にて。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『金銀妖賭譚 博徒狸と堕福の賭場 -1-』  流れに揺れる小舟の舳が、月光の溶け込んだ海面を切り裂いて進んでいく。生温い夜半に耳障りな音は無く、小船を漕ぐ櫂の音ばかりが小気味よく響いていた。  小舟に見えるのはふたつの影。まず一人、舳に立って舟を漕ぐ長身痩躯の狐獣人こそ、火付盗賊改の金吾(きんご)である。  被った笠の下の双眸は剣呑であるが、それを差し引いても大層端正な顔立ちをしている。齢三十半ばとは思えぬほど引き締まった肉身に、仄かなくすみを見せつつも未だ美麗な黄金の毛並は秋の稲穂を思わせる。  同心頭としての引き締まった出で立ちではなく、薄紺の長着に羽織といった普段着に近い恰好の金吾は、目先に近付いてきた小島をぐっと睨み付けていた。  煌々と明かりの灯った豪華な建物がいくつも立ち並ぶ様子はたいそう絢爛で、浮世離れした魔性の魅力を放っている。島の名を福耳といい、国に幾つも存在する違法賭場の一つである。その規模の大きさは五本の指に入るとされ、日々穢れた大金が回っているという。  金吾は公明正大が身を成したと噂されるほどに誠実な正義漢であり、その能力の優秀さたるや、若くして強盗や賭博を取り締まる火付盗賊改に選ばれる程である。  そんな金吾が穢れた金の回る賭場に向かう理由など、一つしかない。秘密裏に潜入し、福耳島の賭場を締める胴元を取り締まるが金吾に課せられた命令であり、彼の目的である。故に島の全景をぎりりと睨み付け、気を高めようとしているのだった。  正義に息巻く金吾とは対照的に、もう一人の方は暢気なものである。鼻歌混じりに船尾に立ち、水面に向かってじょろじょろと小便を飛ばしている恰幅の良い狸獣人。名を銀平(ぎんぺい)といい、当人曰く仁義に篤い賭場荒らしである。  賭場荒らしに仁義も何もあるものか、という話だが、彼が荒らして回るのは所謂闇賭場であるという。やくざどもの温床を賽ひとつで叩き伏せ、颯爽と去っていくのを生業にしている、なんとも危険な男である。  そんなことをしていれば方々から恨まれるのは道理の筈だが、どういう訳か彼はまだ五体満足だ。逃げ足が速いのか、よっぽど天運に恵まれているのか。あるいは悪運かもしれないが。  銀平は簡素ながらもしっかりとした服装に身を固める金吾とは逆に、裸に羽織、下は白い越中褌一丁という荒い身なりであり、でっぷりと突き出した腹に、いかにも狸らしくもっこりと膨らんだ股間等どうにも小汚らしさが漂っている。人相も悪く、脂ぎった頬がてかてかと光っている始末。近寄れば僅かに酒臭く、正しく鼻摘まみ者である。 「銀平、その長小便は何時になったら止む。もう直ぐ桟橋に着くぞ」 「へいへい、もう間もなく止まりやす」  何もかもが相対的なふたりが同じ舟上に居る理由といえば、銀平が金吾に協力を持ちかけた為だった。  一体何処で嗅ぎつけたのか、福耳島への潜入を控えた金吾の前に突然現れた銀平は、賭場荒らしとしての悪行に目を瞑ることを条件に案内を買って出るとのたまった。曰く、福耳島は賭博の素人が歩くには危険すぎるとの事で、脅すつもりはないが生きて帰れるとは思えないと言うのである。  普段なら戯言と一蹴する金吾であったが、常々福耳島の良からぬ噂は耳にしていた。興味本位で足を踏み入れた者はみな手足を削ぎ落とされた亡骸として戻ってくるだとか、兎に角凄惨な噂ばかりである。怖気づく訳ではないが、一筋縄でいかない案件なのは金吾とて十分承知していた。故に、不本意ながらも銀平の助力を呑んだのである。  桟橋に舟を泊め、金吾と銀平は福耳島の南部に上陸する。遠景の派手やかな様子とは裏腹に、南部のほうは人っ気もなく閑散としていた。桟橋の根元、地面との境には門番らしき屈強な猪獣人が立ち、こちらへ向けてぎろりと睨みを利かせている。一般の民草であれば尻尾を巻いて逃げ出しそうな程の剣幕だが、銀平は意にも留めず気さくに手を上げ、猪獣人の門番へ歩み寄った。 「へへ、久しいねェ。覚えてるだろ、おいらの事」 「忘れるもんか糞狸。手前に散々搾り取られたせいでこちとら酷ェ目に遭ったんだぜ」 「ひひ、ンなもん負ける方が悪いのサ」  ははは、と互いに談笑を交わす様子を見るに、銀平と猪獣人は顔見知りのようである。  銀平は幾度となく福耳島に渡ったという話であり、そこよりの縁なのであろうと金吾は理解する。 「で、そちらのお狐様は? 銀の字の連れかい? ……へえ、中々いい男じゃあないか」  不意に猪獣人の視線が向けられ、金吾は身を張った。じろり、と舐め回されるような視線を浴びるのはたいそう不愉快だった。しかし、下手に悪目立ちするのも好ましくないと判断し、小さく頭を垂れる。 「こいつは金。おいらの連れさ。おいらと同じ銀竹だぜ」  銀平が懐から銀箔の絵札を出すのに合わせ、金吾も同じ札――予め銀平から渡されたもの――を取り出し、猪獣人に見せる。  銀平曰く、この絵札が福耳島における身分証のようなものらしい。上から順に金松、銀竹、銅梅の位に分かれており、上に行けば行くほど大きな金が動く賭場に立ち入れるという。基本的に位は銀竹より始まり、胴元への借金がかさめば銅梅へ、より多くの金を上納できたならば金松へ上がることが出来る。最も、金松に上がる為には目が回るほどの金を注ぎ込まねばならないらしく、もっぱら裏のお偉方の遊び場となっているらしい。 「……あい、確かに。では、そこの小屋で着替えてから行け」  札を確かめた猪獣人は、桟橋の近くにあるぼろ小屋を指差した。着替えというのが何を指すのか分かりかねるが、下手に質問して怪しまれては堪らない。ひょいひょいと足を向ける銀平に続き、金吾も小屋の中へと立ち入った。  小屋の中には多くの棚が立ち並び、銭湯で使われるような脱衣籠がいくつも置かれていた。中は空のものもあれば衣類一式が無造作に詰め込まれたものもあり、籠には番号を示す札が提げられている。  金吾と銀平以外に人影はない。空の脱衣籠の前を陣取り、いそいそと羽織を脱いでいく銀平の様子を見て、金吾は眉を顰めた。 「銀平、着替えとはどういうことだ」 「ン? あァ、そういや説明してねェか、こりゃ失礼。此処福耳島では、立ち入る際の格好が決まってるんでさァ」 「格好?」 「位によって着ていい服が違うのさ。おいら達銀竹は褌一丁で過ごすのが決まりでね。因みに金松は自由だし、銅梅に関しちゃ素っ裸でいなきゃなんねえ」  言いながらも銀平は手早く羽織を畳み、草履を脱いで籠に投げ込んでいる。金吾も促され、渋々羽織に手を掛けた。 「……何故そんな決まりが?」 「そりゃあ、上としちゃ物騒なもん持ち込まれちゃ堪んねえからなァ。金、おいらに感謝しとけよ。おいらが銀竹の絵札を融通してなかったら、あんさん相当な金を払わされるか、若しくは銅梅として金玉ぶらつかせながら歩く羽目になってたんだぜ」 「……」  ひひ、と下衆な笑いを見せる銀平。金吾は素っ裸で出歩かされる己の境遇を想像して身震いする。生憎と、裸を晒して興奮するような趣味は金吾には存在しない。銀平の協力が無ければ、と思うとぞっとするばかりだった。 「あと、これは噂なんだがね。……此処の胴元、どうやら大層な男色家らしい。野郎の裸が大好物ってんで、こんな格好させられてんのかもなァ」 「大層な趣味だ」 「ひひ、全くで。普段は金松の方で遊んでるが、偶に下の方へ降りてくるって話さ。あんさんいい男だから、引っ掛けられるかもしれねえな」 「……そうか」  余り嬉しい話ではなかった。しかし、もしもその場に立ち会う事が出来れば、賭場潰しの好機に成りうるかも知れない。銀平の言葉を胸に刻みつつ、金吾は長着と羽織、笠を脱ぎ、朱い六尺褌一丁の姿になった。 「いやはや、ご立派様でありますなあ」 「……」  銀平の茶化しに、金吾は砂を噛むような顔をする。幾つになっても、人前で裸体を晒すのはどうにも落ち着かない。  腰に手を当て、堂々と股間の立派なふくらみを見せつける銀平に対し、金吾はどことなく落ち着かない様子で両手を前に回しながら立っている。巨玉故に膨らんでいる銀平とは逆に、金吾の褌の前袋は巨根の為に張り詰めていた。勃起している訳でもないのに、褌越しでも陰茎の形がくっきりと浮かび上がる程のご立派様であり、歩くだけで人目を集めるのは一目瞭然であった。 「さて、そろそろ行きますかい。おいらが先導するんで、しっかと着いて来て下せえ」  銀平を先頭に小屋を出る。夏の夜半とはいえ、ひんやりと湿った海風は裸体には肌寒く、登る石段の冷たさが素足を伝って直に身体に流れ込んでくる。嫌が応にも自分が素っ裸であることを意識させられ、愉快気な銀平とは真逆に、金吾は何とも言えない心持になっていた。  石段を登り切ると、粗末な藁小屋が周縁に添っていくつも並ぶ、円形の広場に差し掛かる。中央には大きな火が焚かれ、その周囲にはいくつものござが敷かれていた。ござの上では賽子賭博らしきものが行われており、賽振りと進行役を除いては皆素っ裸であった。褌一丁すら身に付けていないのを見るに、ここが銅梅の位を持つ連中がたむろする場所のようである。  人の数は多い筈なのにどうにも陰気な雰囲気が漂っているのは、客連中の目が軒並み濁り切っているからであろう。賽の目を覗き見ては唾を吐き散らし狂喜する者、はたまた絶望に呻きながらのた打ち回る者の二つに分けられ、いずれにせよその所作は狂気じみている。賭けの深淵を一瞬覗き見たような気がして、金吾は眉を顰めた。 「金、あんまりじろじろ見つめるのは止めといたほうがいいぜ。ここに落とされた連中に理性なんざ存在しねえ、きんたま噛み千切られちまうぜ」 「……何故、こんな事に?」 「そりゃ、こいつらにゃあ勝って上に上がるしか道がねえからな」  賭けに熱中している銅梅どもに聞こえないよう声を潜めつつ、銀平について広場を横切る。銅梅共は碌に身体を洗っていないのだろう、その毛には虱が浮いている始末だ。獣臭さと糞尿の刺激臭が入り混じったような、おぞましい臭気が広場に漂っていた。 「銅梅に落ちた連中ってのは、盛大にスッちまって胴元に金借りてる奴さ。そうなりゃ銀竹になるまで家には帰るための渡し船にも乗れず、福耳島で暮らすことになっちまう」 「此処で、だと? 居住区でもあるのか」  金吾の問いに、銀平はちらりと藁小屋に視線を投げた。 「そこの藁小屋に何人も詰め込まれんのさ。おいらも一回落ちた事があるがまあ酷ぇもんだぜ。寝藁には虫が湧き、飯は一日に一度薄い粥が振る舞われるだけ。湯屋なんて当然ねえし、便所もねえからその辺で済ますしかない」 「……地獄だな」  広場全体におぞましいほどの臭気が漂っている理由をなんとなく理解し、金吾は溜息を吐いた。余りに非人道的過ぎる境遇に、怒りさえ湧いてくる程だった。 「そう、地獄。だから這い上がろうと躍起になる。奴らの目が獣のようにぎらついてんのも、地獄から抜け出そうと必死なのでさあ。あまり刺激してやらないでくだせえ、明日は我が身ってね。ひひ」 「……」  金を納める為の手段が賭博しかないという点が、なにより恐ろしいことだった。普通の借金ならば地道に働いて返済するという安定した道のりが存在するが、ここではそれすらない。ひたすら狂ったように賽を振り続け、幸運が降りるのを祈り続けるしかない。まるで砂地獄から這い上がろうとする虫のようだ、と金吾は瞳に憐みを滲ませる。  それと同時に、胴元に対する怒りが湧きあがってくるのである。意図したうえでこのような地獄を生み出し、銅梅達がもがくさまを愉しんでいるというならば、とんだ性格破綻者にも程があった。  やがて広場を抜け、もう一度石段へと差し掛かる。道を塞ぐ門番だろう、襤褸の腰布一丁の鷹獣人に銀竹の札を見せ、金吾と銀平は先へ足を進めた。 「銀平。もしどうしても賭けに勝てず、返せないほどに借金が膨らんだとしたら、彼らはどうなる」 「そうなりゃ一巻の終わりだな。金松の連中に身売りされるとか、金松の賭け事の駒として使われるとか、色んな噂があるが詳しいこたぁ知らねえ」 「……賭け事の駒?」  金吾の問いに、前方の段を歩く銀平は肩を竦ませた。 「それに関しちゃおいらの口から言えないね。だが、聞くところによると随分猟奇的な遊びらしい。焼けた鉄板の上でどれだけ耐えられるか、とか煮立った湯の中に――」 「分かった、もういい……」  聞いているだけで血の気がよだつようで、続けようとする銀平の言葉を金吾は遮った。ともあれ、五体満足でいられるとは思わない方が良さそうである。金吾は唇を強く噛み、気を入れ直した。    石段の終わりに近付くにつれ、視界が少しずつ明るくなっていく。  それだけではない。耳を突く愉快な音楽に雑踏の喧騒。  次第に近づいてくる祭囃子を聞いているようで、油断すれば直ぐに浮足立った気分にさせられてしまうだろう。  石段を上り終えた。仰々しい木組みの門の前に立つ見張りの犬獣人に銀竹の札を見せ、門戸を潜る。果たして鬼が出るか、それとも蛇が出るか。 「さァ着きましたぜ。ここが銀竹共の根城、通称『福耳街』でさァ」  銀平は振り返り、愉しそうな笑みを口端に浮かべながら金吾を見やる。金吾は思わず息を呑んだ。


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