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シアンは絵画になった!

短編『緑と青の類似性』 「おはよう。最近よく来るわねワーフムちゃん。駄目じゃない、風羽ちゃんとかに来ちゃ駄目って言われてるんでしょう? 化かし合いがメジャースポーツなのに、今更でしょうにねぇ」  その日、ワーフムは芝崎杏に会いに来ていた。  人をからかっているような、妖艶な微笑みをもってシアンは微笑み返してきた。 「だって面白いものたっくさんあるんだもん。姉やんも来ればいいのに」  ワーフムは軽くぶうぶうと口を曲げて答えた。  朝のシアン=アースこと芝崎杏の屋敷は、独特の妖気が充満していた。  表向き若手の古美術商をしている彼女らしい、芸術品が丁寧に並び保管されている事はもちろんの事。それと同時に、この屋敷は驚いたことに、美倉街では危険視されているギツクモの気配が充満している。  そこに更に、ケーゼは風羽、ラプラ、織神様と言った、妖気祓いや阻害に長けた人々の退魔機器までもが除湿器感覚で部屋に一定間隔に並んでいる。  シアン自身は、その配置を明確に考えた上で、効率的にギツクモを抑え込むようにしていると常々語っているが。ワーフムからしてみれば、適当に配置することで生まれた、地獄のような芸術的な空間となっていた。 「それに、今日はその姉やんに行ってきなさいって言われてきたんだよ」 「へえ、それは珍しい」  シアンは意外という様子できょとんとした顔を見せた。  実際、風羽はシアンにあまり会いに来ない。  年齢差で言うと、風羽の方がシアンよりも数倍は生きている。しかし、シアンにはいつも淫らな妖気に満ちた誘いをもって弄ばれていた。 『妖怪よりも妖怪らしい』『ケーゼはわりとシチュエーションを整えたうえで、お互い熱が入りそうなタイミングを見計らってくれるが、あんたは本当にこっちの都合を考えない』『常々、あんたの変化能力が性具とかにするもんじゃなくて本当に良かった』とは、風羽がシアンにどうしても会うたびに言う言葉だった。  この街の巫女として、ギツクモの研究家でもある彼女とは仕事上特に繋がりを持った二人であったが。私情ではかなりの溝があるのだった。 「ちょっと、失踪事件の多い所に調査に行くことが決まってね。風羽ねえやんが、絶対に大事だからって、シアンを紹介したの」 「紹介?」  シアンはどういう意味かと、座っている椅子の手すりに肘を置き、頬杖をついてしばし考えた。  考えている間、ワーフムはシアンが余った片手の指を反対の手すりにトントンと叩くのをぼーっと見つめて、リズムに合わせて尻尾を振ったりする。  と、突然指が跳ね上がり、ワーフムの尻尾もまっすぐ跳ね上がって、シアンがああぁと大きな声をあげた。 「ああぁ! あれね! はいはい懐かしい。いやぁ、覚えてくれてたんだぁ……」  シアンはそう言いながらうんうんと頷く。その顔には、どこか恍惚としたような怪しい笑みが浮かんでいた。 「分かったの?」 「ええ。失踪事件、ギツクモや外部勢力による人さらいと来たら、最適な魔道具があったのよ。 えーっと、どこだったかな……」  と言って、シアンは椅子に座ったまま、先ほどまで叩いていた指を軽く上げて、ゆっくりと渦を書くように回し始めた。  すると、指の軌道が丸を書くと同時に、そこから3つの線が伸び始めた。伸びたそれぞれの光の線は、伸びた先で元の場所と同じように丸い光の塊を作り出す。  そして、作られた光の塊から、更に線が伸びて、丸を作って、伸びて、丸を作って……と言うように、形成される速度は、どんどん加速していって、10秒もしないうちに、シアンとワーフムが居るこの空間全体に、網を張った。  シアンの固有魔術『心網』だ。  一本の指から魔術を伸ばし、感知、侵食、動作の3つの性質を備えた魔力の網を、幅広く展開することができる。  触れれば、心網を通じてシアンに存在がばれるし。それと同時に、通常の変化系妖術に触れたように、シアンの妖力が体内に侵入することを許してしまい、シアンの術に飲み込まれてしまう。仕上げに、心網自体がそのまま対象を捕まえる事が出来るという実害持ち。  化かし合いにおいても、人間であるはずのシアンが脅威と恐れられる理由となっていた。  なので、ワーフムやカーラと言った小柄な妖怪組の間では、シアンが化かし合い合戦の戦場に姿を見せた場合は、コンテナか何かにおびき寄せて、閉じ込めて投棄することが原則になっていた。空間ごと封じてしまえば、破壊力自体は無いのが狙い目だ。 「んー……あ、あったあった」  シアンがようやく目当ての物を見つけたらしく、設置されている骨董品で見えない奥の棚の引き出しを一つ開け、心網上を滑るようにして一つの小物がシアンの手に運ばれてきた。 「それって……?」  それは、一見ミサンガのように見える、いくつかの線が刻まれた腕輪だった。 「これは、騙し輪。ギツクモが人を物に変える捕食行為を参考にしたんだけどね。あの勝手に物に変えられたりする現象を、意図的に起こす代物よ」 「えぇ? じゃあ、それって……」 「そう、これを付けて、発動して! って念じるとね……」  そう言うと、シアンは自分の手首に騙し輪を通し、それから顔の前に寄せ、目を閉じて静かに念じた。  すると、騙し輪は怪しい光を放ち、部屋全体が見えなくなるほどの眩い光で包まれた。 「うわっ!」  ワーフムは予想外の閃光に目がくらみ、腕で顔を隠す。それからすぐに元の明るさに戻って、ワーフムは恐る恐る目を開けた。  目を開けたワーフムは、目の前の光景にぎょっとした。  つい先ほどまでシアンが座っていた椅子の上には、人は居ない。  しかしその代わりに、まるで椅子の上にそれが展示の形であり当然だというかのように、一つの絵画が残されていた。 「……かい、が……? 絵画だよね……?」  ワーフムは、自分自身が口に出した言葉に自信が持てないかのように、確かめながら口に出した。  それは確かに、疑いようもなく絵画だ。  暗い色合いの背景の中心に、一人の女性の裸婦像が描かれている。  青い髪が美しく、顔は大人びていて、余裕のある微笑みを浮かべている。仮にこの女性が現実に居るとして、この振る舞いを持って、一緒にいかが? と誘われてしまおうものなら、うかつにイエスと答えてしまいそうな不安を感じる程だった。  ワーフムは、その絵をどぎまぎと戸惑いながら眺め、近づく。  ごくりと唾をのみながら、恐る恐る口を開く。 「凄い素敵な絵……。綺麗、誰がモデルなんだ、これ……?」  ワーフムは素直な感想を口に出した。  ──そして、自分の言葉に戸惑い、眉を潜めた。 「……あれ? 私、いったいなんて……」  その瞬間、目の前の絵画がどろんと音を轟かせて煙を噴いた。 「がうぁっ!?」  ワーフムは驚き、獣のような悲鳴を漏らしながら跳ねのき、背後にあった胸像の後ろに隠れた。  そして、何が起きたのかと恐る恐る顔を覗かせると。椅子の上には、先ほどと変わらない姿で、自慢げな顔を浮かべてシアンが座っていた。 「あ、あれっ!? シアン!?」  ワーフムは困惑しながら影から出ると、シアンの前へ戻った。 「素敵な絵だなんて、本当に嬉しいわねぇふふふ……私だっていう色眼鏡が無かったら、結構貴女からの評価って高いのかしら?」 「い、いや。シアンの悪さは見た目よりも性格の悪さと言うか……それよりも! 今のどういうこと、私、今一瞬だけシアンの事……」 「忘れてた。でしょ?」  狼狽えながら言葉を手繰り寄せつつ喋るワーフム。シアンはワーフムの鼻先にぽんと指を置き、笑い返した。 「ギツクモっていうのは、どうもねぇ。妖怪の存在有無、知っているか知られているか。知らないから存在しないか──みたいな、実在性に影響を与える性質もあることが分かってきてねぇ。そこからの応用」 「……つまり、その道具を使っている間は、物になると同時に、忘れられるってこと……?」 「ふふ、当たり♪」  シアンは、微笑んだ。  その微笑みは、まるで人に存在を忘れられ、物になり果てる事が出来るという一通りの流れが、最高に気持ちいいでしょう? とさえ訴えているかのようだった。 ◇ ◇ ◇ 「さあ、どれがいい? 晴れ姿の変化ぐらい、好きな物選んでいいわよ?」  ワーフムが風羽から渡されていた魔道具の代金をシアンに渡すと、騙し輪選びが始まった。  シアンは箱にまるで指輪のように保管しておいた騙し輪を取り出し、ワーフムに見せる。 「これ、一つ一つが違う物に変身するの?」 「ええ、これはぬいぐるみになれるし、こっちはストラップ。若木に、ポストなんてのもあるわねぇ」 「全く、シアンは本当に変態なんだねぇ。要は、ギツクモや外部の敵に捕まって物にされそうになった瞬間。自分が別の物に変身したうえで存在をぼかして、やり過ごすための物なんだよね。つまり……何かになったら、その時点で存在がぼやけるから、何になっても変わらない」 「その通り。つまりただの趣味よ」  あっけらかんに、シアンはそう答えた。  あまりの堂々とした言葉に、ワーフムは飽きれるばかりだった。 「じゃあ……この、ぬいぐるみかなぁ」 「ええぇ!? つまんない! それって貴女の変化能力まんまでしょう? せっかくだから別の物になればいいのに……」 「別に、この方が自分がなるのもイメージしやすいかなって思ったんだけど……使えないと、まずいじゃん?」 「そうだけどねぇ……ねえねえ、これはどう? 下着。貴女みたいに元気で幼そうな子が、いきなり可愛らしい下着に変身してぺたって転がったら、それはもう最高にそそる光景になるというか。素晴らしいと思わない? 他にもペットボトルとその中のジュースになるというのも──」 「ちょ、ちょっとストップストップ!! 鼻息荒い! 普通にセクハラ!!」  呼吸を荒くしながらシアンが胸と顔をワーフムに押し付けてきたところで、ワーフムはたじたじになってシアンを押し返した。 「──ハッ、ごめん。ぼーっとしてたわ、どこまで話したっけ?」 「しかも無意識だったの!? ええぇ、こわいよシアン……」  ワーフムは耳と尻尾をしおしおに垂らした。 「あはは、ごめんなさいね。やっぱ好きな物って、どうしても熱弁したくなっちゃうじゃない? 熱意は偽れないというか……」  シアンはそう言いながら、たははと頭を描きながら照れ臭そうに笑った。  やっぱり、シアンは紛れも無い変化マゾヒストだとワーフムは確信しなおした。  そして同時に、熱中し暴走してしまうその情動が、分からないでもないとワーフムは思うのだった。 「……ねえ、シアン?」 「ん、なにかしら?」 「その……シアンはなんで、そんなに物になる事にこだわるの?」  ワーフムの疑問に、シアンはきょとんとした顔を見せた。 「……うーん、そうねぇ。なんて言えばいいのか……」  シアンは、聞かれること自体に戸惑いを持たず、自分の考えを明確に言葉にしようとしばし思案にふける。  そして、あぁと小さく口にして、口を開いた。 「私の願望は……ナルシスト的な物かしらねぇ」 「ナルシスト?」 「ええ。昔、私を妖怪や魔女が居るこの世界に、惹き入れた友達が居たんだけどね。その時、友達のうっかりで、道具に変えられちゃう事故があって、使われたりしちゃったんだけど……」  シアンは、頬を指で擦りながら、顔を赤らめる。 「……物として価値が認められるのが、気持ちよくて仕方が無かったの。ああ、認められてるんだーって……」 「っ……」  その言葉は、実に背徳的だった。  ワーフムの口から「物としての価値でいいの?」と言う返答が出そうになったが……。  ──自分の姉に対する、自分自身が寄せる思いが脳裏によぎって、その言葉を口に出せなかった。 「……ちょっと、分かるかも」 「本当!? もう一度思うと止められなくて……ゲームで言うと、武器に変身したら、ちょっと上質なステータスの武器になって使ってもらえたのがちょっと嬉しくなって。元に戻ってからもレベルアップとかに勤しんで、次変身した時にもっと良いステータスの武器に変身しちゃったら……とか考えるともうドキドキが止まらなくて!」  そう言って、シアンは椅子から我慢できないとばかりに立ち上がり、両手を広げて、部屋全体の美術品に目を向けた。 「だから、私はこの道に入ってから、進路も古美術商になったの! 物の価値が誰よりも分かる職業に! 自分自身と物の境目が、さらに浸透するように!!」  シアンは全てを言いきり、白い息を口から漏らしてワーフムに微笑んだ。 「きっと、私の人生の最後は、満足行く物の変化の仕方を見つけて、最高に価値のある使い方をしてくれる誰かの所有物になる結果でしょうね……そして、いつの日か、もしかしたら付喪神になって、第二の人生を得たりするか……」  だから私は魔女を名乗らないの。その前に人間から物に変わるつもりだから。シアンは最後にそう告げた。 「…………」  ワーフムはただただ唖然としていた。  狂っているという感想も抱いたが、それ以上に、自分自身のマゾヒズムに対し、ここまで明文化して言葉にできるシアンの軸の整った考えに感銘を受けていた。 「……凄い、凄いよ、ほんと」 「ふふ、ありがとう。でも無理しないで良いわよ。私がそれが気持ちいいってだけの話。人それぞれ、フェチ人様々。無理に合わせようとしないでも──」 「そうじゃないの!」  ワーフムはそう言って、シアンの両手を握った。  へ? とシアンが困惑して、ワーフムの顔を見る。  ワーフムの頬は少し赤らみ、それでも真剣な見つめ方を持って、目を潤ませていた。 「ここまで話して分かった。シアンの考え、私とわりと変わんない。私が風羽ねえやんに思う気持ち、たぶんそれだから……」 「……あらまぁ」  シアンの顔には、はっきりとした驚愕が浮かんでいた。 ◇ ◇ ◇ 「はい、じゃあこれ。貴女の分の騙し輪、ポスターに変身する奴ね」 「う、うん。ありがとう……」  ワーフムはその騙し輪を受け取り、こくこくと頷いていた。  その表情は、今日や普段この館に来ているような、少し距離を置いたドライな振る舞いのものはもうしていない。  どこか、憧れの先輩から言葉を受け取ったような、潤ませた目とまっすぐとした瞳を持って、真剣さを持っていた。 「そして……はい、これ」  シアンは再び妖艶な笑みを浮かべながら、指輪サイズの小さな騙し輪を二つワーフムに渡した。 「……これは?」 「これはね、お姉さんからワーフムちゃんへのプレゼント。騙し輪とほぼ同じの効果を持つんだけど……」  シアンはワーフムの小さな両手を手に取る。 「これをね、どの指でもいいから両手それぞれの指に付けて。風羽ちゃんに抱き着くの。そして、抱き着いたところで、両手の指の騙し輪をくっつけると……風羽ちゃんを巻き込んで、一つの物に変身できるわ」 「!!」  ワーフムの口は直角のへの字にまで吊り上がり、目を見開き、顔は極限にまで真っ赤になっていた。尻尾も、毛がぶわっと広がっていた。 「な、なんでも? なんでも一つになれる?」 「ええ……同じ卵の中の二つ入りの黄身にでも、ぬいぐるみのガワと綿にでも、一つの美術品にでも……それに、二人が混ざり合って、一時的に全く新しい別人にでも」 「っ!!」 「ワーフムちゃんの言葉を聞く限り、そういう感じかなってね? うんうん、良いと思うわ。風羽ちゃんのもっともっと近しい存在になりたいんだよね?」  応援しているわ。その優しい一言に、ワーフムの脳のモラリティを司っていただろう大事な線が焼け焦げてしまった。 「うん……うん! ありがとう、シアンさん! 姉やんへのこの気持ち、わかってくれる人が居るとは思わなかった!」 「ふふ、この道具の出所は内緒よ? なんなら、この後の調査先で、拾ったとかで通しなさいな。じゃないと、私廃業になっちゃうかもしれないからねぇ……」 「分かった。女の約束!」  そう言って、ワーフムとシアンは指切りを交わした。    こうして、ワーフムは風羽の心配で持つよう言われた騙し輪を無事受け取る事ができ、この後の調査にも騙し輪は無事効果を発揮し、問題なく事件は解決した。  風羽は、妹の命を守ってくれた事に感謝し、後日シアンに直接お礼を言いに行きもした。  しかし、風羽にとって想定外の事態は起きてしまっていたのだった。  ワーフムの隠された思いと、シアンのマゾヒズム。この二つが、奇跡的にマッチし、ワーフムとシアンが同士のような親近感を抱くとは、予想もしていなかった。  後日、風羽は全容を知りさえすれば後悔しただろう出来事に巻き込まれるのだった。

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