私は筆のタッチが残る油絵が好きなのですが、デジタルでやろうとするとなかなか難しく、どうすれば再現できるのか考えてきました。考えていくうちに単にタッチやテクスチャだけの問題ではないのではと思うようになりました。今回はブラシを動かす行為に注目し、デジタルとアナログの違いについて考えてみました。
この記事はデジタルとアナログを対立させどちらが良いかという話ではなく、どちらも良いがその良さの方向はどう違うのかを考えるものになります。1つの視点として読んでいただけると嬉しいです。
まずは行為とはどういうことかを考えていきます。行為を考える理由は、作品が行為の集積だと考えることができるからです。
私はデジタルツール(パソコン)を使って絵を描くことがほとんどで、絵具などのアナログツールで描くことはあまりありませんので、デジタルをベースに進めていきます。
デジタルでの行為の最小単位はブラシの1ストローク、厳密にはブラシに設定されているテクスチャをキャンバス上に描画することです(他にも調整機能を使ったり画像を合成したりなどの行為もありますが、ここでは単純に考えるためブラシに絞って話を進めます)。これを行為の最小単位と言えるのはブラシのストロークがテクスチャを連続して表現されていることと、デジタル上でのキャンバスの最小単位が1ドットであるということが理由になると考えます。以下で詳しく説明します。
デジタル上で現実世界の筆をそのまま再現しようとすると、筆の毛1つ1つを物理的にシミュレーションしないといけないのでとてつもない計算が必要になります。それを個人のデバイスで絵を描くことを阻害しないスムーズな処理をさせるのは現実的でないので、筆を動かしているかのように見える別の表現方法が必要になります。今日取られている代表的な表現がテクスチャなどの画像を間が分からないくらい連続で描画することです。テクスチャの種類によって筆っぽくもできますし、鉛筆っぽくもできます。筆圧機能を組み合わせるとより多彩な出力が可能になります。こういった事情から行為の最小単位をテクスチャの描画と言えます。この「1つの画像が複製されるため行為の最小単位といえる」という点は後にも登場します。
図:左がブラシに設定してあるテクスチャ。
右はこのテクスチャが適用されたブラシのストローク。右にいくにつれて間隔が狭く設定している。
2つ目は直接の理由というより1つ目の補足ですが、デジタルではデータ容量や処理能力に限界があるのでキャンバスのサイズはだいたい4000pxくらいになり、大きすぎると描くことが困難になります。キャンバスをズームすると1ピクセル(1ドット)を確認することができます。つまり先ほどのテクスチャはこの認識可能なサイズの1ドットの集合であり、1ドットはデジタル世界のキャンバスでの描画の最小単位という前提になります。ですので行為の最小単位をより厳密な言い方をすると、「1ドットの集合からなるテクスチャをキャンバス上に描画する」となります。
最小単位というにはその行為を分解できないことを意味しますが、デジタル世界の最小描画を知ることは世界の底を知ることで、1つ目の理由を補強します。
図:テクスチャを拡大した画像。
では実際の紙に筆で絵を描く場合、アナログでの行為の最小単位とは何でしょうか。
先ほどのデジタルの場合を持ってくると絵具の付いた筆を紙に置くことが最小単位になりますがよくよく考えてみるとそうとも言えないことに気が付きます。
最小単位なので筆をべったりつけた行為ではいけません。筆の先端が紙についた瞬間となるのですが、この瞬間を人は認識できるでしょうか。顕微鏡を使って拡大するとその瞬間を捉えることができるかもしれませんが、少なくとも絵を描いている最中に認識することは不可能です。加えてデジタルでの1ドットを現実世界に置き換えると1つの原子にならざるを得ないので生身では認識することはできません。さらに問題があって、筆の先端を付ける行為が最小の行為だと仮定してもそこに再現性がありません。デジタルではテクスチャが複製されるという点で常に再現性が存在し、よって最小と言えますが、現実世界では全ての行為がユニークな形で1度しか現れず、そうなると無限の最小単位が生み出されることになります。つまりアナログ上では最小単位を規定できない、ある種の諦めがそこにはあると思います。この諦めは無意識的で根源的な諦めであり、成長する中で誰の中にでも生まれる普遍的な諦めです。自然を含めたこの世界を実感を伴って認識しきることはできない諦めです。この諦めはネガティブなことでは全くなく、むしろこれがあることによって絵に魅力が生まれているように思えるのです。
行為の最小単位を整理できると2つの見方が可能です。1つは最小の行為を1つの部品として捉え、0から完成を目指す「システム的な行為のまとまり」。そして諦めから生じる「みなし行為のまとまり」からなる「自然的な行為のまとまり」です。先に白状しますが、2つ目の自然的な行為のまとまりに関しては具体的な答えを見つけられていませんのでご容赦ください。
まずシステム的な行為のまとまりから見ていきます。デジタルツールではまず白紙のキャンバスを作成しますが、この白紙は情報をほぼ持たない、ほぼ0の状態です(白色という情報やキャンバスサイズという情報を持ちますが完成品と比べて0に近いという意味でほぼ0と表現しています。以後ほぼを省略して話を進めます)。0から完成の100までを、行為を積み重ねることで作品を作るといったイメージです。これは行為の最小単位を規定できることや1ドットが世界の最小であることを知っているために生まれる考え方で、コントロールが可能という想定がなされます。
一方で自然的な行為のまとまりは、デジタルのように最小単位を認識できませんが、考えやすくするためにシステム的に筆のストロークを1単位としてみなします。このようにある行為の集合を直観的に一定にまとめる必要があります。例えば筆を1ストロークする場面を想像すると、筆を紙につけ、徐々に押し付け、ある方向に移動させ、筆を紙から離すまでが1まとまりと考えられますが、その間、筆の毛1つ1つはある程度の規則性の中で自由に動きます。多用な感覚対象に溢れ、複雑に絡み合った現実世界ではどうしても行為をまとめなければ認識することができないのです。
このみなし行為のまとまりはどのような基準でまとめているのでしょうか。ここが私にはまだ明確な答えを持つことができない点です。単にシステム的に扱うために部品としてまとめていると捉えることもできますが、それだけでは説明できない主観的な基準があるように思えるのです。クオリアという概念があります。クオリアとは主観的な感覚のことですが、このクオリアが、あるいはクオリアへ到達することが目標であり、それがみなし行為をまとめる基準になっているのではと私は睨んでいます。先日、デジタルで絵を描いているときに様々なブラシを作って試してみていたのですが、その中で普段とは違う感覚になった瞬間がありました。自分の中のある手ざわりが呼び起されそれを基準に絵を描くと普段とは違った、より魅力的な絵にすることができたのです。この経験からこの記事を書こうと思ったわけですが、このときの私の意識はシステム的ではなく、何か現実的で物質的な感覚が基準となってブラシを動かしていました(全くシステム的でないというわけではなく、組み合わさったような感じです)。自然という言葉を使ったのはシステムに対して他に良い言葉が思いつかなかったからです。
実際に私が体験したのはブラシ設定についてです。Photoshopではブラシの連続する画像ごとに色相や明度、彩度を変更できる項目があります。普段はカラーサークルで選んだ色が単色でそのまま出力されますが、この設定にすると選んだ色から設定した値分色相などをランダムにずらすことができます。
図:色相がずれるブラシ設定で描いた丸。テクスチャまで設定すると最小単位を認識しづらくなる。
このランダムに現れた色は設定を変えない以外でコントロールすることができません。描いた上から無理やり別の単色で塗りつぶすということでコントロールはできますが、そのコントロールできないひとまとまりをシステム的ではなく自然的な諦めとして捉えることで新しい視点を得たように感じました。ここでの自然とは意識しないことではなく、物質的な現実世界で生きているような感覚のことなのですがまだよく分かっていません。
現実世界ではデジタルのように情報が0ということはありません。デジタルも現実世界の中にあるので実はデジタルも0ということはないのですが、デジタルでは白いキャンバスが0という前提が仮想的に決まっています。対してアナログでは紙がデジタルでのキャンバスに相当しますが、ザラザラしていたり細かい凹凸が既にそこにあるのです。つまりデジタルが0から100へシステム的に進展していくのに対して、アナログは100aという別の完成した状態(ここでは白紙の紙)から100bという別の完成した状態へ塗り替えるという別の行為が行われていると考えることができます。
結局何が言いたいのかというと、各ツールは絵の技術や作品という結果において様々な点で同じですが全く同じではないということを知っておくと、さらに絵を見るのが楽しくなるし、自分で描くときに多角的な視点で考えることができ、新たな発見に繋がります。
またこのように良さを抽象化することができればツールという区分に囚われず創作でき、何か新しさに出会えるかもしれないわくわくがあります。
思いついたことを鮮度が落ちる前に急いでまとめたので雑な部分の多々あったかと思いますが、それでも最後まで読んでいただいた皆さんには感謝しかありません。
また何か思いついたらまとめてみたいと思います。ありがとうございました。
この記事を書こうと思った原因の絵。途中。