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ティアキンの不満点。

ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム。

評判の高さたるや比類するものはなく、もはや瑕疵の一切ない完全なゲームくらいの勢いで扱われているように観取されるのだが、しかし自分としてはなかなかに不満も多いゲームでもあった。

他者による完璧完全なゲームあるいはそれに準ずるといった評価や体感そのものを否定するつもりはないのだが、翻ってそのような観点の方からすれば自分の持つ不満部分は恐らく重箱の隅をつつくようなものか、あるいはもっとひどく素っ頓狂な見当違いのもののように感じられるかもしれない。



自分もゼルダシリーズは最も完璧なゲームという印象はあった。しかしそれはトライフォースや夢見る島などの2Dゼルダの方であって、時のオカリナもプレイ経験はあるのだけどこちらは3Dゲーム黎明期の意欲作という印象で完璧かと問われると良くも悪くもそうは感じない。とにかく2Dゼルダとティアキンを比すると殊に疑問点不満点が際立つように感じた。また自身が時のオカリナ以来のゼルダであることと、前作ブレワイを未プレイといった部分も巷間の体験談と乖離している要因なのかもしれない。如何せん未プレイなのでそれはわからない。

記憶違いも多分に含まれそうなきらいはあるが、当時を思い出しながらの随感を羅列的に並べていきたい。



◯動物をしばかされる。

一発目の聳動。のっけから無辜の動物を狩らされる。

これは世界観に慣れてしまえばそういうゲームであることにすぐ馴染むので問題などではないのだが、GBゼルダの夢見る島では町のにわとりを攻撃し続けると、にわとりの復讐にあったり、他にも盗みを働くと店主に成敗されるなどいった子供向けゲームとしての常識的な教訓が秘められている。その印象があるから別に飢餓に陥ってるわけでもない状態の開幕一番で動物を攻撃しろと命じられるのは少々驚いた。


◯ゴブリンをしばかされる。

またチュートリアルを進め大地に降り立つと、どこまでも渺々とした大景が広がり渡りこれぞオープンワールドゲームといった塩梅で強い胸の高揚が認められたのもつかの間、なんかゴブリンおるからしばいときましょうかという流れになって、まだなにもしてないゴブリンをしばかされるハメになる。

これは恐らく前作ブレワイをプレイしているかどうかで認識が変わると思われるのだけど、見た目がいかにも悪そうだからといって、こちらから生物を攻撃するのは心理的にあまり芳しく思えなかった。なまじっかゴブリンは遠くから眺めている分には彼らは彼らなりになんだか愉快に仲間とワイワイと楽しんでいる様子で彼らには彼らの生活やコミュケーションがあるように感じ、可愛げすらある造形なのも手伝って。

(夢見る島などでも機械的に哨戒しているマップの敵を先制で攻撃することになるが、彼らは作り込まれておらずただ敵としての側面だけで存在しているので憐憫の情もわかず認知の齟齬や不協和が起きない)



◯他作品との類似性

早い段階で感じたことは、ティアキンは最新鋭のタイトルではなく総決算のタイトルだなということ。古今あまねくゲームタイトル、特にオープンワールド要素の良い部分を結集し再構築しているという印象。(スクラビルドなどの追加要素もあるけど)これはやはり2Dゼルダや時のオカリナなどの有していた任天堂のリード性からは印象を異にした。また、任天堂のビッグタイトルは他社に影響を与えることが圧倒的に多数だったけれど(今作の影響自体も実際には多大であろうとは思うが)、たとえば今作は少なからず「ワンダと巨像」と「RDR」の強い影響あるいは類似があるように自分には思われた。

(軽く調べたあたり、ブレワイはスカイリムの影響が指摘されていて、ティアキンはRDR2の類似を指摘されているものの、どちらもビッグタイトルゆえ一方向的な影響関係性ではないとの見解も目にした。自分はなにせブレワイもスカイリムもRDR1もプレイしたことないのでよくはわからない。)


RDR2のおもいで

レッド・デッド・リデンプション2。 すこぶる評判の良いオープンワールドゲーム。しかし自分は結局序盤でプレイの断念に至った。という思い出の文字並べ。 当時の記憶だよりの随想なのでところどころ実際のゲーム内容とは相違があると思われる。 繰り返しになるが、その評判は盛んに耳にしていた。西部開拓時代終了後ま...

自分は前回の記事のようにまともにRDRをプレイしてないので、誤解もあると思われるが、RDRの持つような自由性とスローライフサバイバル性をかなりティアキンはベースにしていると思われる。ゼルダという世界にリアルな作り込みとサバイバル要素が因襲された結果、動物を狩らされる、まだ何もしていない生物を先制して攻撃させられるといった印象が、過去作ゼルダの平和的な印象とのズレから生まれたように思われる。


ワンダと巨像については、握力システムや高低を最大限に生かしたスケール感の演出など、特に現在では珍しくもない要素の部分が主なのだけど、それとは別に古代ルーン的なものや石ベースのヴィジュアルが妙にワンダに寄っているように思えた。影響を告白するリスペクトの現れなのかもしれないと感じた。

(こちらは軽く調べた限り言及はほとんど見つからず、自分の少ないゲーム体験から来る思い込みかもしれない。いずれにしろこれらは不満点というよりかは随感であってだからなにというわけではない。)




◯なんかちょっとずっとヤカラすぎるリンク

無辜の動物狩りや、無罪のゴブリンしばきはすぐに慣れるけど、最後まで疑問がぬぐえないものもあった。ルミーという神秘的な無害の小動物を時々発見できるのだけど、こいつは攻撃をすれば攻撃した分だけ(驚くだけで与ダメは一切なく)ただルピーをしこたまに落とす。なので金策として矢で何発も射ることになるのだが、なぜこんなかわいげのある生き物を金銭のために鬼畜然と何度も射ねばならぬのか。先程からこちらの心持ちと求められる行動がなかなか一致しない。 

またマヨイというこれもまた度を加えいよいよ本格派の無害生物とも時々洞窟で邂逅するのだが発見次第やはり攻撃することが推奨される。斬撃や打撃射撃(設定上は一応驚かしているということらしい)すると貴重な交換アイテム「マヨイのおとしもの」がえられる。

「マヨイの落とし物」じゃなくて、「マヨイの落とさせ物」だろ!(持ちネタ)

(frame embed)


なにを略奪品をしれっとかわいげあるように言い換えているのか、その瞞着の態度に輩みをリンクに覚える。

こういう部分に決してRDRなどの洋ゲーサバイバルのようにはダーティーに染まりきれない、昔からある任天堂の持つ温和性と子供プレイヤーへの眼差し面との葛藤を感じ取ってしまう。

しかしだからこそ違和感を覚えるというのも事実。RDRで動物をいたずらに狩猟することも町人に攻撃をしかけることも、そういう世界観なのだからという得心があり課せられる選択に道徳的な疑問などほとんど挟まない。(厳密に言うととその問い自体がゲームの要素と一体化している)

あとリンク、宝箱を蹴りであけるのも行儀悪い。百歩譲ってケリで開封してもいいからもっと腰の入ったケリにしてくれ、蹴り方がチンピラすぎた。

これは記憶違いの可能性もおおいにあるのだが、ルミーについて本編で「幸せ(金銭)を呼ぶとされている不思議な生き物。出会うと何かいいことあるかも」みたいな説明文があった気がする。自分や周囲の幸せだけじゃなくてルミーの幸せについても考えてみないかリンク。



◯木の矢こんないらんねん 

上記までは不満というかただの随感なのだけど、恐らく今作で最もまことに不満と感じた部分は報酬の弱さだ。

本作はプレイヤーの好奇心や観察力の度合いをよく把握し、簡単すぎず難し過ぎずちょうどよい按配のポイントに隠しアイテムや隠し通路なんかが至るところに手堅く押さえられていて、こちらの探索心や冒険心を心地よく刺激しサバイバルオープンワールドらしく渉猟の喜びにみなぎっている。

しかしその探索と発見の喜びとは釣り合いがとれぬ報酬ばかりに感じた。

だいたいが、そのだいたいが木の矢だった気がする。祠の謎解きには解いても解かなくてもよいオマケの謎解きがあったのだけど、これがなかなかほどよい難度でついついのめり込んでしまうのだが、結局その宝箱の中身が体感8割くらい木の矢だった気がする。

洞窟などで進行方向には関係のないあたりになにか違和感があるなと、ためつすがめつ観察をしていると壁に岩で塞がれた横穴が隠れているのを発見したりしてたちまち興奮のてい、射撃なり掘削なり爆弾なりで細工を解除していく先に辿ってみるとやはり宝箱が鎮座している。なかなか苦労したけど、中身はなんだろうなと胸を期待で轟かせてからの木の矢。木の矢×5。

いやここまで来るのに木の矢10本くらい消費してるから赤字なんだが~。もっとエリクサーとかラグナロクとかスーパーウルトラホーリードラゴンメイルとか入れといてくれや。

野を越えても木の矢×5。山を越えても木の矢×5。谷を越えても木の矢×5。人助けをしたお礼も木の矢×5。

確かに矢は何本あっても困らないし、序盤では矢に困窮し四苦八苦するけど。まるで人類にとっての水くらいの存在感で木の矢が跋扈している。もはやこの世界のルピーに次ぐ貨幣くらいの面構えをしている。

とにかく探索や謎解きの難度といい設置ポイントといいまたその豊富さすべて良好なのに、報酬が労力の割にレアリティのあるアイテムがほとんどなく、一般消費アイテムばかりで自分はそのモチベーションを著しく低下させてしまった。

なんかたまたま発生したサブクエでゴブリンの砦に捕囚されている人間を発見したのでゴブリン共をねこそぎ鏖殺し同胞の命を救ったのだけど、そのお礼が焼き魚だったのには面食らった。いのちを救ったお礼があんま剥き出しのメシであるなや。いのちを救ったお礼があんま剥き出しの元いのちであるなや。



モンスターのドロップアイテムなどの素材収集の要素もオープンワールドの醍醐味といったもので今作でも最初は冒険のモチベーションを高めていてくれた。しかしその素材収集要素の結果となる防具が種類膨大なのはよしなのだが、強化することでの性能の広がりに乏しく、素材集めを楽しみたいのに、やはり報酬が微小に思われどうしても作業感にとらわれてしまった。

本来装備を整えるというのは、冒険を効率的に快適に進めるための準備なのだけど、この素材集めの労力を攻略に素直に費やしたほうが10倍くらい効率いいだろうなということが頭によぎりまくってしまう。

宝箱の中身などとあわせて、ゲーム内の労力に対する報酬が厳かすぎるという感がはなはだ強く、こういう箇所が自分にとっての求めていた冒険性RPG性を欠いた大きな不満の要因であったと思う。




◯雨どうにかしてくれや

個人的にはオープンワールドには昼夜の概念は外せない。時間帯によって景観の彩りや住人の行動の遷移や変化が眺められることが没入感の度が増してくれる。今作には天気の概念も存在し、にわか雨が降ると住人はそれに応じた行動をとる。雨宿りしたりセリフや表情も変わったりする。

雨が降るとあらわになっている地形全体が濡れそぼち摩擦を失って、リンクのアクション要素である壁や崖の登攀がほぼ不可能になり著しく行動の範囲が限定されてしまう。まあこういった足止めも時には良いものだ。情緒に富んで冒険のいいめりはりも生む。

しかし、さすがに雨降りすぎじゃないでしょうか?

一日の半分くらいは雨降ってる気がする。まあそれは最悪構わないのだけれど、雨の時間にプレイヤーとってのお得をもっと用意して欲しかった。することがなさすぎて暇をもてあました。

なんというか自分の思い描いている任天堂であればこういった足止め要素にも何か建設的な仕事を設定しくださったのにな~と想起する。

一応ティアキンにもその現れとして雨天時にしか出現しないモンスターや生物がごく少数いるのだけど、本当にこの素材収集要素それだけなので、集めきってしまえばやることがなくなってしまう。

とにかく雨が降り出しても「やった~」と思える要素がもっと欲しかった。

管見極まり恐縮至極ではあるのだけど、たとえば雨水が素材アイテムになったり、晴れの間の行動時のスケジュールではあとまわしにしてしまう面倒くさいクラフト作業など集中してできるようにするとか。本来は料理を制作してストックする時間にうってつけだと思われるのだが、雨が降ってしまうと屋外では焚き火が消火してしまい新たに火を起こせないので調理も不可であり本当に出来ることもやることもなく、ただ待つという時間になっていた。スローライフ観やリアル性を求めたということなのかもしれないのだけど、ここまで極端に快感性を優先しないのはちょっと任天堂らしくないかなと思った。

後半になればなるほど雨に用はなくなり、始めは新鮮で空気感の一助だった雨もやがてまた雨かといった具合に進行をしばしば止められるテンポの阻害にしか感じられず辟易の念が辛くのしかかってしまった。




◯オプションの世界観どうなってんねん

今作は奇しくもRDR2と軌を一にして、L3ボタンがしゃがむコマンドで設定されている。


なぜ古今あらゆるゲームが接敵などの緊張のみなぎりでプレイヤーの握るコントローラーの指の力が過大に及んでしまっても、ただダッシュの度合いに連動するという保険と直感性を尊んできたのに、そこにあえてしゃがむをもってきてしまうのか。指が緊張で鯱張ってもダッシュの度合いが強まるだけ、なぜその伝統を破るのか。

(持ちネタ2)


リンクが接敵などの緊急時にすぐに世界の誰よりもしゃがんでしまう。見せられるかゼルダ姫に。しゃがみ散らかしたこのハイラルの英雄の姿を。ティアキンはやれることが多すぎてコマンドがやはり渋滞しており、戦闘時などにあらゆる手段があるという意欲性は良いのだがプレイヤー側の(少なからず自分の)キャパシティを少々越えてしまっていて、その煩雑さ故に咄嗟のコマンドでのミスが最後まで頻発しがちであった。

RDR2は詳細なオプション変更で対策がとれたのだが一方ティアキンはボタン配置の変更はできるものの、確か頑なにL3ボタンだけはしゃがみコマンドを墨守していた気がする。なぜそんなにL3をダッシュにさせたくないのか。L3としゃがみコマンドの間にどういった堅固な関わりがあったのか。

あと自分はゲームをはじめると音響などを細かく調整したいたちであり、昨今のゲームはそのように詳細な変更に対応しているものが多いという実感があるのだが、ティアキンはそのあたりがほとんどいじれなくて、なんだか漫画とかに出てくる嫌らしい頑固なラーメン屋みたいだなと思った。お客さんなにやってんすか!ゲームの味かわっちゃうんでぇ。とか言ってきそう。



◯風の神殿

風の神殿についてはたいへんよかった。それにまつわるストーリー、空間の高低を生かしたダンジョンギミック及びその遺跡が遥遠な空にわだかまる雷雲の中に領するというのもラピュタみたいで冒険心をくすぐられた。ボス戦もやはりワンダと巨像感をもったが演出も含めて会心の出来に思えた。天空からおもっくそ急降下して弱点を突き破るという攻撃のカタルシス性はあまりにも最高だろう。

ただ問題は自分にとってこれが最初の神殿であったことだ。自分はゲームプレイにおいて事前の情報を非常識なまでに仕入れないようにするので、本当にこのゲームや世界観について何も知らず。さすがゼルダさん~!とこの段階で当然残りの三箇所の神殿も同じくらいの出来を期待した。次に攻略に臨んだのは火の神殿だ。風の神殿ほどじゃないが歯ごたえはしっかりとあった。しかし風の神殿と比べるとギミックが単調というかトロッコのレールのパズルをあれこれ試す為に繰り返し乗降すること自体に楽しみがあまりなく後半の作業感は否めなかった。のち水の神殿、雷の神殿といった順で攻略をしたのだが、個人的にはどんどんとパワーダウンを感じてしまった。これは神殿の出来そのものだけではなく、火の神殿あたりでRPG要素としての盛り上がり(素材収集やアイテム収集など)にも上限が見えてしまったこともあると思われる。




ずいぶんと以前だが、自分はSNSでティアキンのプレイ日記のような種のものをいくつか投稿した。特にこの風の神殿あたりが最も高揚したのでそれに伴い気分良く内容も明朗なものになっている。

この時点で上記のいくつかの引っかかりは覚えていたのだが、とはいえそのような不満を縷々として書き連ねても興に欠けるというもの。しかしついぞこの高揚点を超える体験はティアキン内で再体験できなかったせいで、(たしか)SNSの日記の投稿もそれきりになってしまったのであるが、それではこのように不満を抱えているにもかかわらず表向きではまるでみなさんと同じようにティアキンを堪能しきった顔に映るのではないかという慙愧の念がもやもやとずっと心の奥底をくすぶっていた。自分はみなさんとは同じ頂きの高さでは楽しめていない身分、なのにまるで肩を並べるようにしてこれではティアキンを真に楽しんだ人たちに失礼ではないか。そういう思いから何度か、ティアキンの不満部分も申告しようと試み下書きをしたためるも実におもしろみのない内容にしか思われず投稿のを断念を繰り返していた。結局このように今、時間を経てブログに置いてそれも長文でありったけ胸中のあれこれを披瀝することによって、告解のような心持ちでのぞむという手段にでることにした次第。




◯ボリュームの功罪。

オープンワールドにおいてボリュームとは重要な要素のひとつであると思われる。

しかし本作はそのボリュームがいささか多すぎのきらいがあったのではという疑念が個人的にある。企業がその全霊をかけるということは本来望ましいことだと思われるが、その誠意と会社の持つ強大なマンパワーのあらわれの結果イベントやクエストを余りにも大量につくれ過ぎてもうて、それらの報酬にあたるアイテムの幅がおいつかず、ひとつひとつを薄める結果になったのではないかという疑念だ。地底エリアの探索自体は面白かったし当初は単純に3面もマップがあるというのは豪奢でしかないと気持ちを高ぶらせてくれた。地底の宝の座標を天空エリアで得るという仕組みも俄然花丸であった。しかし結局授与される報酬がもらってもどうしようもないリンクの古着などばかりであったのが寂寥の念。とにもかくにも少なからず自分はイベントやクエストの膨大さに後半はそのほとんどが作業感や義務感といった感に倦み始めていた。

ただSNSで流れてきた感想では「◯◯や✕✕(他のゲームタイトル)は作業感ひどいけどティアンキンは本当にプレイヤーの自由と好奇心の刺激と促進があって最高」といったものを見かけて、その◯◯や✕✕こそ自分がこれぞ冒険と思える好感を寄せたゲームでありそれらと比べてティアキンに作業感を感じてしまっていたので、なんだか人の感性の多様さとは非常に興味深いものだなとおもう体験もあったりした。

果たして自分はプレイの後半から倦怠感の湧出をだんだんと抑えられなくなってしまったのだけど、律儀に冒険を楽しむための意識でプレイを続けた結果クリアするだけで250時間かけてしまった。それだけプレイを楽しめるボリュームという評価の向きも無論正当に属するだろうが、自分はそんなに時間を賭すつもりでプレイを始めてはおらずせいぜい100時間程度、そもそも一般のオープンワールドゲームには50時間くらいしか求めていなかった。求めていなかった。



◯そもそも自分のプレイスタイルがイカれてた説

今作の良かった要素のひとつにマップのピン機能がある。冒険を繰り返すうえで、ここのクエストや謎、怪しい箇所など後日訪れようという時にスタンプを押せる。こういった機能は自分は今まで出会ったことなく(あとにプレイしたアニマルウェルには存在した)自前でメモしていたのでありがたかった。また地図に印を書き込むということ自体が冒険味をただ増してくれる。ただスタンプの種類がもっとあったほうが良かった。あとなぜか上限がたった500までなので途中でいっぱいになってしまった。


ティアキンの自分のような観点の評価をしている人間をネットでも周囲でも見かけたことはなく、おしなべて評価はすこぶる高い。知人にもめちゃくちゃ面白いと公言する人間が2 3いたので話しを聞いてみるといずれもプレイ時間が100時間以内であった。なぜぶつくさ文句を言ってる自分のほうが250時間と二倍以上とプレイ時間が異常なのか。そもそも常識的に考えて不満を持ちながらのプレイで250時間かけるっていよいよ尋常ならざる事態だなと気づき始める。どうもこれはやはり自分の性格とティアキンのサービス精神(ボリューム等)との相性の噛み合いがさんざんに悪かったように思える。木の矢への文句もわんわんわめいたが、自分が異常に矢を温存してしまったからこんなにもいらないと感じたのかもしれない。自分はラストオブアスなどのように銃弾管理がシビアなタイトルで過激なくらいアイテム消費をせずにシーケンスクリア出来るまでやり直しプレイをしてしまうたちでアイテムをすぐパンパンにしてしまう。もちろんその分リトライなどで時間がかかってしまう。

またPS1がゲーム界を席巻した頃、容量の著しい増加で作り込まれた広大な町の住人との会話が億劫に変わり果てかえって嫌になってしまったという声が頻発された。製作陣からすれば無理して話しかける必要などはなく自由に話したり話さなかったりしてほしかったと思うのだが、なかなかプレイヤー心理的にはそうはいかぬという話がもっぱらだと思っていたのだが、もしかしたらその種の心理も昨今ではゲームプレイヤーに超克されたのだろうか。



◯どうでもいい話

これは自分のプレイスタイルの問題なのだが、満遍なくではなく一所を重点的に闇雲に冒険するのを好む。その結果地底エリアは効率よく進めるため後まわしにし、150時間プレイくらいしてからの攻略となった。するとその時初めてイベントでスクラビルドの超効率的スキル(設計図のセーブ機能)を入手して、さすがに確実にプレイ順序を間違っていることに気づいた。これがあるとないのではプレイの面倒くささが全然かわってくる。

とはいえ、この機能は同時にやはりスクラビルドを作業にしてしまうきらいもあったように思う。こういう部分にも工程をあえて面倒にしてサバイバル感を反復的に増幅させる長期的目線の妙味と任天堂元来のユーザーフレンドリーさが中途半端に撞着してしまっているようにも思えた。



こうやって書き出してみると、結局のところ自分が思い描いている勝手な任天堂像とゼルダ像との実プレイでの齟齬という部分がいかにも大きいように思われる。そもそもさっきから任天堂任天堂と制作陣をひとくくりにしているのも本来は芳しくない。制作者はそれぞれ自身の個性を背負ってより良いゲーム体験を目指しているであろうから。


最後に述べておきたいのだが、前述した通り本作はあらゆるオープンワールドの総決算に思えた。それは新機軸として打ち出される世のオープンワールドゲームが徐々に先鋭化、悪くいえば先細りをみせる、そうじゃなくない?感を増していくなか、ティアキンは一気に王道にリセットしてくれたような気持ちよさがあった前提がある。

果てしなく広がる大自然の絶景に、横や奥だけではなく縦に空、地、地底という三空間を広げたスケールを基盤に本当に好きな順序で進行が許される自由さ。(これが案外昨今は失われがちに思う)

ただ自分にはそれがあまりにも広大すぎたのかもしれない。


広大すぎたかもしれないし、こちらは匿名コメント箱。

(frame embed)



ティアキンの不満点。

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