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アオのハコ妄想二次NTR小説 『逃避ドミノ』バッドエンド:喪失

【最初に】

こちらはpixiv内で投稿したアオのハコ二次創作『逃避ドミノ』のバッドエンドルートを記載しています。時系列としては、3章の続きになります。

あまりいないと思いますが、本記事からご覧に慣れれた方は、共通ルートであるpixivの1~3章を先にお読みください。

(frame embed)


バッドエンド:喪失


遊佐晴人<ゆさ はると>の自我は破壊された。


今、自室にいることは分かる。何とか帰宅できたようだった。

時間は、分からない。自分がなんなのかも、分からない。

前後不覚に陥ったまま苦しみ続ける。


自分の心を全て弄ばれた悔しさ、怒り、悲しみ、あらゆる感情が襲いかかった。

しかし、そんな晴人を最も苦しめたのは、"雛に手を出してしまったこと"。


雛・大喜の状況に対する晴人の怒りは、彼女が"不当としか思えない肉体関係を強制されていた"事にある。

細かい事情は分からない。しかし、体育倉庫で見た光景は、晴人の正義感を刺激するに十分な内容だった。


その正義感により雛を救おうと奔走した晴人だったが、理由はどうあれ、その行動の結末がこの有様だ。


(それじゃあ、猪股先輩と何が違うんだよ。同じじゃないか――!)


晴人が抱いていた正義感が、そのまま自分自身に襲い掛かる。


晴人の自意識・アイデンティティの大半は、"他者を必要としない自己承認"によって成立している。つまり"自分で自分を認める"必要がある。


しかし今の状況は「自分を認める事ができない」どころではない。

「自分を許すことが出来ない」状態。これまで誰よりも支えになっていたはずの"自分自身"が、容赦なく率先して今の自分を責め立てる。

未体験の苦境に、晴人のアイデンティティは根本から崩れていった。



己の正体の喪失。


それは死んでしまいたいほどの苦しみだ。

しかし一方で、この苦しさでは人間は死なない。心臓が止まるわけでもない。

人の丈夫さが、却って晴人を長く苦しめた。


(無理だ、もう)

(誰か――誰か助けてくれ――)


しかし晴人を助ける者は誰もいない。誰の声も聞こえない。


取れる手段は限られている。

壊れるか、自分で自分を助けるか。もしくは――


やがて苦しみ抜く晴人の中で、今までになかった発想が現れた。


(……でも、俺は猪股先輩に騙されただけだし、悪くないんじゃないか?)

(俺は蝶野先輩の頼みに応じただけなのに、そんなに悪いことしたか?)

(あんなの、騙されて当然だ。俺はただの被害者で、仕方なくないか?)


"仕方ない"、"悪くない"。

自分の心を守る為のとっさの行動だったが、思いのほか効果的だった。

それは、自分を許せず苦しみ続ける晴人にとってあまりに甘美な言葉だった。


(そう考えると、俺は何もしていないのに巻き込まれたんだよな。大変な目に合った)



晴人が取った手段は――"逃避"だった。



晴人が持つ自尊心や自意識は、本来"それ"を許可しない。

しかしその歯止めを効かせるのための意識は、粉々に砕け散っていた。


人は一度楽を覚えると、簡単には歯止めが効かなくなる。

今の彼の思考に歯止めを効かせるものは、何もなかった。



晴人の精神は少しずつ落ち着きを見せていた。

心に余裕ができたことにより、晴人にこれまでになかった"変化"が訪れた。


アイデンティティ・自尊心は人間の精神を高度たらしめる要素である。

夢などの長期的な展望や、それに向けての努力も、ここに根差している。


今まで晴人は、「自分で自分を認めるため」「兄を越えるため」「周囲に自分を認めさせるため」に努力し、生きてきた。

それを喪失し、楽<ラク>を選択し続けた晴人は何を原動力に生きるのだろう。


(でも……蝶野先輩とできたのは、良かったな……)

(なんとかもう一度、チャンスがこないかな……)


直近で晴人が初めて経験した、最も原始的な欲求。

――性欲。


自己の喪失に伴い、晴人の行動指針は……少しずつ"変質"を見せていた。


***


学校には登校するし、部活にも出席している。身に付いた習慣はそのままだった。

晴人の"変質"は、僅かなところから少しずつ影響を及ぼす。


授業はともかく、部活にも身が入らない。


(やる気がでないな……。あんな事があった後だ。"仕方ない"か)


体育館の隣で新体操部が練習をしている時は、特に集中力が乱される。


気が付くと自然と雛を、"雛の身体"を目で追っている。

そればかりか、一度自分が触れたそのレオタードの中を想起する事に夢中になった。

晴人は健全な男子生徒であったが、


(でも部活中にそんなこと考えて集中できないのは、流石にダメじゃないか)


晴人の中に残る"常識"が内省を促す。しかし……


(妄想は恥ずかしいことかもしれないけど、俺のは思い出してるだけだし……)

(あんな経験しちゃったら、思い出すのは"仕方ないし悪くない"よな)


アイデンティティが崩壊する経験をし、生物的本能に根差した異性の味を初めて覚えた。そして――向き合うべきものに目を背ける、安楽の味を覚えた。


これらを同時に経験した晴人に、己を律する事は不可能だった。



同じ学校にいるのだ。大喜に遭遇することもあった。

一瞬、晴人の脳裏に怒りが思い起こされる。

内心から、忘れかけている闘争心や克己心が湧き上がるのを感じる。


だが、


(今さら怒っても、なかった事になるわけじゃない。怒らせるとひどいことをされるかもしれない。もうあんな思いはしたくない)

(そもそも、部活の上級生に逆らうのはよくないんじゃないか?じゃあ仕方ないよ)


"挑まない理由"はいくらでも思いついた。それに……


――まあ今後もね、俺の言う事きいてくれたらさ。俺の気が向いて、また貸してあげることがあるかもね。


この言葉が、忘れられない。


(猪股先輩の言うことを聞いていれば、もう一度、蝶野先輩とできる……?)


それを大喜に直接確認することは、さすがに晴人の常識が許さなかった。

しかし自分の頭に一度浮かび上がった"可能性"は、そのまま晴人を捉えて離さなかった。


***


晴人の内心に気付くように、大喜の晴人に対する態度は日々変わっていった。


最初は侮蔑交じりで挨拶をしてくる程度から始まった。

晴人が逆らわない事が分かると、とても嗜虐的な笑みを浮かべる。

そのうち、馴れ馴れしく肩に手を回し話しかけられるようになった。


「いやぁ、今ちょうど雛に"教えてる"ことがあるんだけどさ。だんだん上手く――」


次第に雛との"行為"を自慢するようにもなった。

大喜自身も異性の経験、異性を思い通りにしているという状況に興奮を抱えているようだ。それを自慢できる相手が見つかったことに悦びを感じている。


大喜は少しずつ、晴人に何が"通る"のかを試す。

それが通れば、様子を見ながら次の行動が"通る"のかを確認してくる。


このような、人の許容を試すようなコミュニケーションを取る人間ではなかった。


(この人は、誰なんだろう)


晴人が大喜に対して、以前も抱いた印象だ。

まるで"どこか別の人間の悪意が乗り移っている"、そうした印象があった。


(きっと、これは猪股先輩じゃないんだ。別の人なんだ)


晴人には、心に秘めていた大喜への憧れや尊敬があった。そんな人間が悪意を湛えていくのは、悲しくて辛い。

この「別人である」という考え方は、今の晴人にとっても望ましいものであった。


晴人は、自分が内心で憧れていた自分の変質にも、目を背ける事にした。


そのまま大喜の――何かが乗り移った"男"はこれをよしとして、晴人を支配することによる優越感を膨らませ続けた。

そしてそれは、晴人に僅かに残った抵抗や常識を、徐々に侵略していった。



***



どこかに手本でもあるのだろうか。"男"の悪意は日ごとに増長していく。

今日も男は、晴人に自身の"行為"を自慢し、優越感を得る。


「それでさ雛がさ――。ん、なに晴人。もしかして興奮してる?」


そして、晴人の意識も徐々に変質されられていた。


最初はもちろん辛かった。

想い人が荒々しい蹂躙を受けている。そんな話は聞きたくなかった。


しかし「仕方ない」と自分を納得させ、その辛さが薄れていくうちに。

今度は徐々に自分の中で"興奮"が肥大していくのを感じた。


晴人も健全な男子高校生だ。性的な知識は人並みに備えている。

しかし、自分が興味を持っていた異性。自分が経験を持ったことすらある異性。

そうした身近な異性との行為の話はリアリティがある。"想像がしやすい"のだ。


それだけではない。


自分が敵わない相手に、想い人が手酷い扱いを受けている。

それに何もできず、逆らえないまま、その話を一方的に聞かされる。

本来は屈辱しかないその敗北感に、晴人は昏い悦びと"興奮"を見出し始めていた。


その"興奮"は、これまでの晴人が感じていた興奮とは別種のものだった。


(恥ずかしい、バレた。早く違うって言わないと!バカにされる)


だが。


――まあ今後もね、俺の言う事きいてくれたらさ。俺の気が向いて、また貸してあげることがあるかもね。


この言葉を、思い出してしまった。

目の前の男は、晴人が逆わないことで気を良くし、優越感を得ている。


(このまま「そうです」って言った方が、機嫌がよくなるんじゃないか?)

(そして機嫌がよくなってくれたら、いつかもう一度、蝶野先輩と……)


晴人の自尊心は既に一度崩壊し、現在進行形で侵略を受けている。

だからこそ、


「……はい。うらやましい、かも」

「その、前に言ってたの……本当すか。気が向いたらまた貸してあげるってやつ」


目の前にあるその"可能性"に、プライドを捨て飛びつく事ができてしまった。


それを見た男は、今までで一番、獰猛で暴力的な笑顔を見せた。



***



晴人のスマホが鳴った。

"男"からのメッセージで、簡潔に「倉庫」とだけ書かれている。


(ついにきた。倉庫……?体育倉庫か。気が進まないけど"仕方ない"……)


身体が、無意識の拒否を示すかのように重い。

それを無理矢理にでも動かし、体育館付近に向かう。


誰にも見つからないように遠目に待っていると、雛が体育館に入る。

少し遅れて、晴人に指示を飛ばしたその男も体育館に入っていく。


晴人はそれを確認したあと、そのまま足音を殺して同行し、体育倉庫前で待機する。


中から男の叱責、雛の嬌声を聞こえる。

そのまま晴人は、周囲を見渡し、誰かが来ないか警戒を始めた。


晴人に命じられたことは、「見張り」だった。



――じゃあ、今日からヤる時呼び出すわ。見張りあった方が、やっぱ周り気にせず集中できるからさ。あ、でも雛にはバレるなよ。嫌がられたら面倒だし。

――そしたら、俺も助かるし、気が向く"かも"ね。


約束などではない。

とても屈辱的な指示に対して、提示された見返りは非常に曖昧だ。

しかしそれでも晴人は、


(やった、やった!言う事をきけば……もう一度、蝶野先輩とできる!)


与えられた指示の屈辱ではなく、目の前に提示された可能性に夢中になっていた。

今の晴人に断るという発想は、なかった。



(あの時はすぐ引き受けたけど……)


だが、いざ体育倉庫前で見張りをすると、さすがに惨めな気分になってくる。

それに、最初に体育倉庫で"二人の行為"を見た時の嫌悪感が思い出される。また吐き気が出てくるのではないか心配になってきた。


(倉庫の中、声が大きくなってきた。蝶野先輩の声がよく聞こえる……あれ?)


以前はあれだけ強烈だった嫌悪感がない。

男から雛との行為を自慢され、それに興奮を覚える晴人は変質してしまっていた。


男からの支配を通して得ていた、"敗北感による興奮"。


憧れの人の情事が、壁一枚を隔てて繰り広げられている。

自分はそれを見る事もできず、むしろ見張りをして協力している。


人間として、男性としての強烈な敗北感。

その敗北感が、これまでに経験したことのない興奮に変換される。

今の晴人には役得だとさえ思えた。


そうして晴人は、「見張り」に夢中になった。


あれだけ辛かったことに、今は悦(よろこ)びを感じることができる。

それは自己防衛本能からくる適応行動だったのかもしれない。


(自分を守るためだ。"仕方ない")

(別に俺は"悪いことをしていない")


そして、辛い気持ちが興奮に変わる。晴人は己の"変質"を歓迎した。

それを咎める者は、どこにもいなかった。



それからというもの、


「学校裏」

「教室」


"男"からの呼び出しは、晴人の事情を考慮しない。

簡潔に場所だけがメッセージで届き、見つからないようにそこに行く。


場所の指示が曖昧でも、それに文句をつけると"気が向かなくなる"かもしれない。

屈辱感に目を逸らし、指示された場所を探して懸命に「見張り」を続けた。


目的達成の手段である「見張り」そのものにも、昏い敗北の興奮を感じながら。



***



その日は、呼び出しがなかった。

しかし男からは当然、「ない」という連絡は入らない。

遅くまで待機していたが、連絡がないという事もあるだろう。その日は帰宅した。


翌日の放課後、"男"は雛を連れて上機嫌で晴人のところにきた。


雛と正面から顔を合わせるのは久しぶりだ。

とても悪い事をしている気がした晴人は、とっさのに雛の顔から目を逸らした。

正面から見る事ができず、下を向くばかりだ。


「昨日、久しぶりに雛の部屋に行ってさー」


男は上機嫌で晴人に話しかけてきた。

昨日、呼び出しがなかった理由はこのためか。


「そこで、面白いの見つけてさ。晴人にも見てもらおうと思って」


面白いものとは何だろう。何かを自慢されるのだろうか。

これだけ上機嫌なのだ。関心した振りをしておこう。

そうすれば早く"気が向く"かもしれない。


「ほら、見て。これなんだと思う?」


晴人の目前に掲げられたそれは……


(……御守り?)


「勝守」と書いてある。

心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。

一瞬、晴人の思考が止まり、今度は高速で回転する。



(なんで、ただの御守りでこんなに胸がざわつくんだ)

(勝守ってことは、勝利祈願?勝利祈願って……まさか、でも忘れたって……)


晴人が何かに気づいたような反応を見て、男は満足そうに続ける。


「これ見つけた瞬間、雛のやつ黙っちゃってさ」

「"しつこく聞いた"ら、晴人の御守りだって言い出すんだよ。でもなんで雛がそんなの持ってるか分かんないんだよね」


男は楽しそうに、晴人の顔をじっと見つめる。


「ねぇ、晴人。この御守りのこと、知ってる?」


ここでようやく晴人は、雛の顔を見た。

とても申し訳なさそうな、晴人を心配するような表情をしていた。


(やっぱりこの御守りは、俺のなんだ。あの時にお願いした、俺の――)


修学旅行前の雛にお願いしていた、"大喜にインターハイ予選で勝つための御守り"。

雛はそれを買ってきてくれていたのだ。


そして雛はまだ、その御守りが何を目標にしたものかを黙ってくれている。


雛の心遣いが、とても嬉しかった。

最近浸かっている、後ろ暗い悦びではない。久しぶりに体験する、正当な喜びだ。


しかし、今の晴人にはもう、目の前の男に対して"あなたに勝つための勝利祈願です"と返す自尊心は残っていなかった。

そして晴人は、


「し、知りません。俺のじゃ、ないかも……」


その正当な喜びから、雛の心遣いから、目を逸らした。


雛の顔は、見れなかった。

こんな自分に幻滅した顔をされていたら、ショックを受けた顔をされていたら、耐えられないから。いつものように、目を逸らした。


「あ、そう。じゃあこの御守り、いらないよね。"捨てていい"?」


「あ、でも……」


一転して冷え切った男の言葉に、ようやく雛が口を開いた。

ささやかな、しかし今の雛には最大限の抵抗の意思だろう。


この短期間で晴人は、男に逆らう意思を奪われている。

そして雛はそれよりも長い時間、男に侵略を受けている。

このような関係になった事情は分からないが、晴人以上に逆らえない関係になっていることは想像できた。


久しぶりに晴人の内から、声が聞こえてきた。


(このまま、御守りを捨てさせていいのか!本当にそれいいのか!)

(言え!捨ててはいけないと!せめて御守りを受け取るぐらい、しろ!)


それはどこか懐かしい、忘れていたような、自分の声。"遊佐晴人"の声。


しかし、


(でもここで、この人に反抗したら"気が向かなくなる"かもしれない)

(せっかく今まで我慢して言うことを聞いてきたのに、ここで逆らったら、今までの苦労が台無しになるじゃないか)

(仕方ないよ、仕方ない。それに御守りなんかあっても、何もならないじゃないか)

(そもそも、本当に自分の御守りなのか?蝶野先輩の部屋にあったんだろ?)


それ以上に大きい、今となっては、より深く慣れ親しんだ甘美な声に従い、


「あ、はい。捨てていい……と、思います」


晴人は、久しぶりに聞こえた自分の声にフタをし、"恭順"を選んだ。


雛の顔はどんな顔をしていただろう。怖くて見ることができなかった。

息を吞むような声が聞こえた"気がする"が、恐らく"気のせいだろう"。


こうして、

晴人の「尊敬する先輩に勝ちたい」という"願い"は。

雛の「それを応援しよう」という"想い"は。

"いらないもの"として、目の前で廃棄されることになった。



***



かつての自分の願いも捨て、晴人は男の言う通りに仕えた。


(ここで逆らったら、今までがムダになってしまう)


そう考えてしまうと、もう後戻りはできなくなっていた。



「もう面倒だから、後片付けもやっておいて」


男にそう命じられ、「見張り」が終わると場の後片付けもするようにもなった。

晴人が「見張り」の形で手伝っている事は雛には伏せられていたはずだ。

しかし後片付けとなると、必然的に顔を合わせる事になる。


「あ、どうも……」


事後、後片付けをしに挨拶をしながら場に入ってくる晴人を見て、雛は何も言わなかった。

既に察しているのか、御守りの廃棄を許可した自分に、幻滅しているのか。

それを知るのが怖かった晴人は、ここでも雛の表情を確認する事を避けた。


彼の心にはもう、"情けなさ"という感情はなかった。

むしろ行為のあとの火照った状態である雛を見て興奮を覚えていた。

ここでも役得を感じるような有様だった。



(でも、なんでわざわざ俺に後片付けをさせるんだ)


基本的に学校内で行われる行為は、そこまで派手なものではない。

後片付けの手間自体は、そこまでのものではなかった。


男は、晴人が片付けをする様子を見て嗜虐的な笑いを浮かべている。


(もしかして、俺に後片付けをさせるのを楽しんでいる……?)


そう考えてしまうような表情だった。

まるで、自分が受けた屈辱を晴人にぶつけて、憂さを晴らしているような……


(考えすぎか)


根拠のない考えだとばかりに、晴人は心を殺し、言われるままに仕えた。

男が晴人を通して優越感を得ている事も、もはや考えないようになっていた。



***



それから、どれぐらいの期間が経っただろう。

放課後、遂に晴人が待ち望んでいた時が訪れた。


「今日俺、午前中サボって散々ヤッたからさ。"貸して"やるよ」

「雛には部活後に倉庫に行くよう言っといたから」


男の"気が向いた"。

許可が、下りたのだ。


男が当然のように授業に参加していないこと。

想い人がまるでモノのように貸し出されていること。

そして、男と雛の関係性を象徴していた「お詫び」という大義名分――晴人はその詳細を聞かされていないが――が、もはや建前としてすら使われていないこと。


正常な感覚を持っていれば、違和感を抱く事ばかりだ。


(やった、やった!ついにできるんだ!蝶野先輩と!)


しかしそのような事、晴人にはどうでも良かった。

遂に念願が叶う。男に従い続けた屈辱と苦労が、遂に結実するのだ。


男に大きく「ありがとうございます」と礼を言う。

そのまま、気もそぞろに部活を終え、急いでいつもの体育倉庫に向かった。


楽しみ過ぎて、少し早く来過ぎてしまったようだ。

心を躍らせながら雛を待つ。

いよいよ目前に迫った本懐の達成に、晴人の興奮と高揚は最高潮に達した。


(俺がこれだけ楽しみにしていたんだ。蝶野先輩も楽しみにしているはず)

(今日は二人で、素敵な時間にしよう)


しばらくして、倉庫の扉が開いた。雛だ。

逸る気持ちを抑えながら立ち上がる。


(どう声を掛けよう。ムードは大切にしないといけないな)


期待に胸を膨らませつつ、"久しぶりに雛の表情を正面から見た"。



晴人を見る雛の表情は――失望と軽蔑に染まっていた。



"気付かないようにしていた"。

しかし考えてみれば、当然のことだ。


己に理不尽を向けてくる相手に不快感も出さず、ヘラヘラとご機嫌を取り、従う。

かつて抱いた大喜を越えるという目標を廃棄し、他人の応援も踏みにじる。

それら恭順の褒美として、女性の身体を要求し、嬉々としてそれを享受する。


そんな、人間のクズに対して向ける表情。

目の前の"男"に対しての雛の態度は、極めて妥当であった。


「言われたから来たけど……早く済ませて」


自らの体を守るように抱き、不快感に耐えるような表情。


雛にとって現在が耐え難い苦痛の時間であることは、端から見ても明らかだった。

しかしそのような事実に"気付くわけにはいかなかった"。


(大丈夫、いざ始めれば、蝶野先輩も俺の優しさに気付いてくれるはず)

(それに、俺はちゃんと段階を踏むぞ!まずは優しくキスから……)


「ちょっ……キスはいや。そんな事しなくてもできるでしょ」


断られたことはショックだったが、ここで無理やりするわけにはいかない。

今日まで苦労を積み重ね、せっかく得た機会が、台無しになってしまう事だけは避けたかった。


服を脱がす事は何とか許可が出た。

そのまま己の本能のままに、目の前の相手を堪能する。


(あぁ、すごい……すごい……)

(最高だ……頑張って良かった……)


晴人が達成感に震えている時も、雛は苦痛に耐えるように固く口を引き結んで反応を返さない。徹底した拒絶だ。


その拒絶にも見ない振りを続けた。

この貴重な機会が帳消しになる事だけは避けたい。それしか頭になかった。


(あぁ、もうダメだ。我慢できない)


晴人が挿入の準備を整える。


「……いや。入れるのはダメ」


愕然とした。では何なら許されるのか。裏切られたような気分だ。

怒りで頭が沸騰しそうだったが、怒る訳にはいかない。

なるべく丁寧に話しかける。


「でも、ほら、ね?そうしないとできませんから……」


「証拠は持ってこいって言われたけど、手でもできるでしょ?」

「ほら、ゴム付けてあげるから……」


「いい加減にしろよ!」


意図せず、大きな声がでた。これ以上お預けをくらうなんてゴメンだった。


自分がどれだけ苦労して頑張ってきたと思っているんだ。

全ては、この時のためなのに。

自分の気も知らないで、どういうつもりなんだ。


もう、限界だった。


「い、猪股先輩に言いつけますよ!こ、ことっ……"断られた"って」

「そしたら困るのは……ちょ、蝶野先輩のはずです!大人しくしてください!」


晴人は、いや"その男"は。

遊佐晴人としての、人としての、全ての尊厳を放棄した。


雛は悔しそうに顔を歪ませながら、やがて表情を消し、黙って力を抜いた。

それは、全てを諦めた様子だった。


(やった!やった!許してもらった!これでようやくできるんだ!)


……

…………


体育倉庫には、"男"の興奮しきった唸り声のみが響いた。


男は相手の名前を何度も呼び続けた。

しかしそれは、今まさに自分が蹂躙している相手が、何者なのかを確かめるため。

"名前の主"に対しての配慮は、欠片も持ち合わせていなかった。


やがて男は本懐を吐き出し、静かになる。


雛は余韻もなく、急ぎ身支度を整え、早々に体育倉庫から去った。


「…………最低」


去り際に、その一言を残して。



全てが終わった体育倉庫内は、静かだ。

音がない。何もない。


幾分か冷静になった頭で、考える。


(……俺は、何か間違えたのか?)


しかし、どこで何を間違えたのかすら、何も分からなかった。


そのようなこと、分かるはずがない。

自分を捨て、問題に目を背け続けた人間が、今さら振り返ったところで。

問題に気付くには、捨てたものが、目を背けたものが多すぎた。


「…………は、」


男の口から、息が漏れる。それは意図したものだろうか。


「はは……はははは……」


笑っているのか、泣いているのか、それすらも分からなかった。


暗く、静かな、誰もいない倉庫にただ一人。

誰も、自分すらも自分を見つけられない中、男は一人で声を発し続けていた。


『逃避ドミノ』

バッドエンド:喪失 完


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