あの頃自分は目が覚めるか覚めないかの浅い覚醒をしようとしていた。
忘れもしない。突然の長い揺れ。
慌てる家族。マンションの中層階であった自宅は数分間は揺れていた想い出があります。
そこから両親はTVに釘付けでNHKのニュース速報を見ているのを横目にまた自室で2度寝をしたのを今でも覚えてます。
阪神淡路大震災。
朝、再びTVの前に行くと両親は関西方面の友人に電話をしても繋がらないとバタバタしていた。
当時は携帯なんかなかった時代。
異様な光景はTVから流れていた。
一面が崩れた壊滅的な街。
炎で燃える家。
こうしたインパクトは9.11同日多発テロと東日本大震災の後2回を経験するが、幼かった自分は直感的に「死」を意識しノストラダムスの大予言なんてものを信じそうになったのを今でも強烈に覚えています。
その後、学校に行くと先生が「今日は特別授業ということで」っと教室のTVを付け、地震のメカニズム、地震が起きたらどうするか?などを余震もありつつ授業を受けたのを思い出します。
耐震制度も火災に対する考えも、保険も変わった出来事。
近代日本史において間違いなく大きな出来事の最中「長田区壊滅」の文字。
クラスでは何が出来るかを議論して今考えれば要らない千羽鶴なんておったり、募金が出来ないかなんていう話もありました。
家に帰ると連絡のつかない友人を心配していた両親。
弟の誕生日が17日だったので、ケーキとプレゼントがテーブルにはあったものの、母親が料理を作る時間が無かったらしく、珍しく「ピザいっぱい頼んだよ!コーラもあるし、他何か欲しいものある?」なんて言われて、ちょっとだけ豪勢な夕食に笑顔になった記憶。
今考えると、こうした事を子供に出来る両親には今でも頭が上がりません。
友人が亡くなったと解ったのは1週間くらい後だった覚えがあります。
9.11同時多発テロ事件の際は父の友人が犠牲になり、東日本大震災では違った形で犠牲者を見てきた自分。
生きた証をどうやって残すべきなのかはこの頃からずっと考えている気がします。
時間はあれから27年。
今では神戸も復興し、かつての壊滅状態が信じられないくらいに煌びやかな街になっています。
耐震工事や建築基準法の見直し、火災保険や激甚災害法。
様々な事が見直されましたが、自然にあらがう事は出来ないのが我々だと思っています。
「死は突然訪れる」
だからこそ、生きた証を絵として、ルアーや作品として残していきたい。
まだ生まれていなかった方、つっきーさんみたいに生まれて間もなく記憶も無い方も沢山いるようになってきた時代。
東日本大震災もそうですが、こうした事があったという事は知ってほしいと思うと同時に、犠牲者哀悼の意を表します。
冬の寒空の下、フィアンセと共に過ごす今日はなんだかちょっとだけ複雑な心境でした。