今週も前回に引き続き昔の絵を振り返りながら絵の話をします。
…といっても絵=自分の人生なので必然的に自分語り多めです。たまには自分の事も話したくなんねん。
前回の記事はこちら。

▼マシュマロ設置した R.I.P. リツイート直後のツイート表示するやつ……。 めちゃくちゃ便利ツールがまた一つ逝ってしまわれた…。 なあイーロン君、こんなことして何が楽しいんだい?俺たちが困ってるのを見て笑ってんだろ、なあ!!! リプライ・マシュマロは本人に送るからちゃんとした文章にしなきゃ…と思うし、なんか...
勢いで書いて殆ど推敲してないので読み返すとちょっと恥ずかしい。
例によって長い記事になりそうなので先に。
欲しかったスニーカー、発売日に売り切れで買えなかったのに高額転売されてた事にムカついたから衝動で描いた。
スニーカー好きなので定期的に描いてますね。でも毎回構図に悩む。
もう1枚カンナの漫画も上げたかったんですが今週は体調がうんこで間に合いませんでした。すまねえ…。
幼い頃から何となくお絵描きをしていたいちみ。
同人誌ゲスト参加を機に大きく成長を遂げる!
そして大学へ———
苦しかった受験が終わり、晴れて大学生活が始まりました。
初めて親元を離れ、四国のド田舎を飛び出して辿り着いた都会・神戸の街はどこもキラキラして見えました。
また自分は中・高共に強豪校の陸上部に所属していたため放課後も土日も殆ど遊んだ記憶がありませんでした。(おでかけライブに2回参加したのと映画けいおん!を見に行ったくらいかも)
大学ではバスケサークルに入ろうと思っていたのですが、興味本位で覗きに行った漫研の部室の悪魔(こたつ)に囚われそのまま入部。
今までの反動か、毎週のように遊びを満喫するようになりました。
その頃の絵はこんな感じ。
…なんか、退化してない?
これは持論なのですが「日常が満たされている時、絵に成長はない」。
だって、毎日が充実していたらわざわざ絵なんて描かなくてよくないか?時間もかかるし、完成するまでは孤独だし、完成したとて見てもらえるか分からない。常に上には上がいて、もがき続けなければならない。
それと比べたら友達とごはん食べてカラオケオールしてる方が、恋人と映画でも見ている方がインスタントに心が満たされるでしょう。
日常が満たされて余裕があるから芸術に手を出せる、という考え方もあるかと思いますが、自分は日常に満たされない何かがあるから、———学校生活が上手くいかないから漫画の中で爆破させてやろうとか、絵で人気者になってやろうとか———それを満たそうと創作するんだと思っています。
また、この頃の自分には驕りがありました。同人誌のゲストを描き、その本がコミケで売られた経験があるんやぞ!?と。自分は絵が上手いんだ!と自負していました。当時はSNSもそこまで発達していなかったので無知だったのです。
……でも当たり前ですが自分より滅茶苦茶上手い人、居ました。
同級生で今も敵わないと思っている人が2人居ます。一人はブルアカ描いてるので絵が回ってくるたびにうめ~~~~~くそ~~~って歯ぎしり立ててます。
この二人に負けたくない。
そうだ、あの時ゲストで描いたイラスト。あれにブクマがいっぱいついたから(※約80)、有名な人が見てくれたから(※東方同人で好きだった作家さん)思い上がってたんだ。
決意としてゲストのイラストをpixivから削除し、改めて射命丸の絵を描きました。
…いや、めちゃくちゃ退化しとる。
全身を画面に収めようとして何だか縮こまって、躍動感を出したいポーズの筈なのにそう見えない。
これについては前回記事の最後に描いた通り、資料を見たり上手い人を参考にしなくなった結果です。
もし今この絵を描きなおすならざっくりですが右のような感じにすると思います。
直したい点としては
①すべての要素を入れようとしない。(足を切る。帽子の奥側の紐部分は頭で隠す)
②物の陰影だけでなく画面のライティングを意識する。
大きくこの2点です。
特に②のライティングなのですが、今一度自分の絵を振り返ってみると物の影自体は描かれているものの、背景を含めて全体のライティングを意識した絵が1枚もありません。
ライティングには今後長い間苦しめられることとなります。なんなら今も。
こうした決意もむなしく退化を辿る一方の絵を描き続けます。
この頃は華やかにしようと思って絵の彩度がどんどん上がってますね。今見るとあり得ない色遣いなんですが、当時はこれで自信満々でした。
これに関してはPCのモニターが悪かったというのもあります。モニターは本当に大事。
同人活動を本格的に始めたのと同時期にtwitterで東方の絵を描いている人たちと積極的に交流を図るようになりました。(確かこの頃フォロワー200人くらい。フォローフォロワー比はほぼ1)
友達が欲しかったのもありますが、絵を見てくれる母数を増やしたいという下心が大きかったです。人と交流を持てば、その人がRTしてくれて更にそのフォロワーが見てくれて…の連鎖で目に入る機会は多くなるはず。これは何て姑息と思われるかもしれませんが、とりあえず評価が欲しいのであればまず自分から積極的に人の絵を褒めるべきだと思っています。
色々な合同誌に参加したり(twiplaで募集している物片っ端から参加しました)、オフ会に参加したりしました。
ただ、そこで出会った多くの人は絵の上達よりも楽しさに重きを置いていたり、絵を交流の手段としており、自分が求めていた絵の刺激になるような人はあまり居ませんでした。遊ぶ分には楽しかったです。
イベントに参加して同人誌を買い漁ったり、参加した合同誌の完成本を頂いたりする内にやはり今の自分は絵が下手だ!!!!と自覚します。
本になった自分の絵を見ることで客観的に見れたのだと思います。
上の絵と同時期にお空合同の原稿も描いたのですが、頒布が半年ほど延期されました。
改めて下手さを痛感した自分の眼には良い絵には見えなかったので、頒布が延期されるならと描き直しを決意します。
描き直しにあたってどうしたかと言うと、「絵の資料を集める・上手い人の絵を参考にする」でした。あと色を確認する用のモニターを買いました。
描き直す前と描き直した後。どちらが良いかは一目瞭然かと思います。
誰を参考にしたかは忘れましたが、お空の絵を片っ端から調べ構図を考え、どうやったら重厚感が出るか、どういう要素を入れるかを意識しました。
……まあ今見るとこの絵も全体のライティングは意識していないし、要素が取っ散らかってはいるし…って感じなんですが。それでも退化から進歩へのターニングポイントとなった1枚なのは間違いなく、当時の自分の気合が伝わってくるので今見ても好きな絵です。
資料は重要だ!!!誰かの絵を参考にするのは成長に必須だ!!!と思い直すまで約2年かかりました。長かった。
とはいえすぐに上達はしない物で。それでも色々と試行錯誤しながら描いていた時期だと思います。
服飾が結構好きなのかもしれないと思った年。
2016年の絵です。ようやく色遣いがまともになってきました。
キャラもただの棒立ちではなく、なんとなく三角形に納まるようなポーズにしてますね。映える構図を少しずつ意識するようになってきた頃だと思います。
前年に描いたハロウィン魔理沙を描き直したものです。
モチーフは同じですが、色遣いや構図が格段に良くなっています。
この頃の成長の理由は、負けたくない友達ができたからです。2015年末に出会い、今では1番交流がある友人達になりました。
画力としては皆どっこいどっこいくらいでしたが、全員上達を目標として描いていたし、口にはしませんが皆自分が一番上手いと自負していたと思います。
他の誰かがいい絵を描けば認めつつも内心悔しくて悔しくて仕方がなく、負けるもんかと筆を走らせました。
自分は負けず嫌いなのでライバルとして敵対心を相互に向けられる、それを許してもらえる存在は絵を大きく成長させてくれました。
2017年の絵です。SAIからクリスタに変え、液タブを買いました。
元々アナログ畑の人間だったので板タブよりも慣れるのは早かったです。
この年は新卒で働き始めました。
何となくで法学部に入り、勉強もおろそかに遊びまわり、やりたい仕事は無いけれど興味のないことはやりたくない。
就活に対してモチベが低かった自分は皆が早々に内定を貰う間ふらふらとしていました。金融系など法学部から行きそうなところや興味がある分野としてゲーム会社にプランナー職で応募したりしていました。
流石に就職はしないとヤバいか、と適当な近場の小さいシステム会社に事務職で入ります。
オタクが多かったので週末は飲みに連れて行ってもらい、それは楽しかったのですが業務は興味が持てませんでした。
コールセンター業務も行っていたのですが、日々入る高圧的なクレーム電話にストレスが溜まり帰宅後はひたすら絵を描きまくっていました。
この頃、絵を仕事にしたいと少しずつ思い始めます。
きっかけはこの絵を描いた事です。
大好きな東方音楽サークルの方と交流を持つようになり、自分がいかに好きかを何度もお伝えしていたところライブのポスター用イラストの依頼を頂きます。
下手な物を描くわけにいかない緊張と嬉しさから凄く気合いを入れて描きました。
凄く凄く喜んでいただけて、こうやって自分の描いたもので喜んでもらえるのって何よりも幸せだなと実感しました。絵の道を志す1歩目となった絵なので、今もデスクの横に飾っています。
これは如何に今まで自分が自分で考えることをしてこなかったという恥ずかしい話なのですが…。
絵に関する仕事というのは自分の中で中学生ぐらいから頭から消されていました。
その頃から絵を描くのは好きでしたし、美術の先生に工芸高校への進学も進言頂いたんですが父親からの「絵を仕事にできるのは才能があるやつだけ」という言葉と祖母の「父は絵本作家になりたかったけど生活の為に諦めたのだ」という話から「そうか、なら自分には無理だな。あんなに上手い父親にできなかったのだから」と結論付けました。家にペンタブがあったのは父親が買ってきたからで、その父親が描く絵は当時の自分には到底敵わない物として植え付けられていたからです。
自分には「弁護士」という夢がありました。
小学生の頃に弁護士を目指すと言うと大人に褒められたから。何となくずっとそう主張していましたがそれは空っぽの夢でした。なので大学に入って早々に諦めます。自分はそんなに勤勉な人間では無かったんですねぇ。
こんな見栄で虚構の夢を語りながら、絵の道は無理だよと現実が見えている大人のフリをしていた歪な人間でした。
バカなので大学受験も見栄で決めました。オープンキャンパスにも行ってないです。
先生が当時の自分では到底手の届かない大学を志望校に設定して、120%の努力をして漸く100%に届くんだよ!だから高い目標を掲げよう!!と言ってきました。
へーここに受かったら凄いんだーじゃあそこにしとくかと必死に勉強しました。
でも合格した時、その先生にはほんとに受かるとは思ってなかったと言われました。オイ。
こうして振り返ってみるといい子を建前に全ての選択を周囲の大人に丸投げしてますね。ほんと~~~に良くないよ。
ただ、今となっては周囲の言葉を鵜吞みにする人間でも、その上で愚直に努力できたのは自分の良い所かなとも思っています。
22歳にもなって漸く絵に関連する仕事に就きたかったんだと自分の本心に気づけました。遅すぎる。
こうして1年で仕事を辞めた自分は(失業保険で何とか耐えながら)ニートとフリーターの中間みたいな生活を2年ほど送ります。
この間に漫画の連載の話を頂いて1年ほど打ち合わせを続けていたんですが、編集さんと音信不通になった話は……まあ来世にでもしようか。
そういえば失業保険受け取れるのが早くなるらしいですね。ええこっちゃ。
2018年頃。この頃は画面全体の印象を考えながら描くようになってますね。
また、この頃からデザインに興味を持ち始めます。
絵の道を志すようになってから自分が何が得意か、何に興味があるのか意識するようになりましたね。
今、会社では絵は殆ど描いていません。基本的にデザイン業務です。ですが、事務職の時とは違い有意義に感じています。
2019年以降の絵はpixivに残してるのでそっち見たほうが早いかも。
ざっくり思い出の絵だけ振り返っていく。
最近はモ誰先生を参考にして少し彩度控えめの絵が多いですが、2021年の頃の絵可愛いのでこの辺を融合しながら自分なりの絵を模索していきたいです。(今年の目標)
こんな感じで自分は絵を年ごとにフォルダ分けしているのですが、描いている枚数をザッと数えてみたところ
こんな感じになりました。(2015年以前はフォルダがごちゃまぜで数えるのが難しかった。)
特に上達を感じた2019年、2022年頃は1枚絵(ここでは背景まで考えてしっかり作った絵としてます)描いた枚数が多いです。(誤差レベルかもしれんが)
ただ描くだけじゃなくて考えながら描くとその分得られる経験値も多いなーと思います。
過去の絵はざっと一通り振り返りました。
次回でこのテーマは終わりにします。
今までの経験から考える練習法とか速さと量の話とかその辺の創作論的な事を書こうと思っています。あとは今の時代絵の将来を語る上で外せない筈なんだけどTwitterではちょっとしづらいAIの話とかね。
また、これまでの記事では絵の事ばかりで漫画については描いていないのでそちらもちょこっと遍歴を追いたいです。