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第1章 第九話

『それでも世界は回っている -OZ-』 第1章「目覚めの草原」 第九話 第九話「風の名を持つもの」 ⸻ クネロの村を目指して歩いていたはずなのに、いつのまにか道がわからなくなっていた。 いや、最初から道なんてなかった。 地図の切れ端に描かれていた、点線のルートは、草に埋もれてもう見えなくなっていた。 「……これで、合ってると思うんだけどな……」 風が強くなり始めていた。 空には雲が出はじめていて、日が暮れる前にどこか避難しなければと思った。 そのときだった。 草の向こう──夕暮れの光の中に、誰かの影が見えた。 背の低い、白いフードをかぶった存在。 ふわふわした長い耳のようなものが揺れている。 「……あの……!」 声をかけた。けれど、相手は返事をせず、草の向こうへと消えていった。 ぼくは慌てて追いかけた。 風が一段と強くなり、砂ぼこりが舞った。 目を細めながら丘をのぼると──そこに、小さな祠のようなものがあった。 風除けになりそうな石造りの構造物。誰かが残した古い避難所かもしれない。 その前に、白いフードの人物が立っていた。 「……あの……」 ぼくがもう一度声をかけると、今度はゆっくりと振り返った。 白い毛並みの、不思議な顔立ちをした獣人。 うさぎか鹿か……あるいはそれ以外の、どこか神聖な印象を受ける姿。 「旅人か」 低く静かな声だった。 「……はい。クネロの村を目指していて……道に迷ってしまって」 「ならば、ここで夜を越せ。今夜の風は、目に見えないものを運ぶ」 「……?」 「名も、記憶も、心も。風の力は、あらゆるものをさらう」 ぼくは思い出した。 ──昨日、名前を忘れられたあの朝のことを。 「……あの……君は、誰?」 その存在はしばらく黙ってから、答えた。 「名は風とともに変わる。だが今は“ユウ”と名乗っている」 「ユウ……」 「お前の名前は?」 「ドロシー……です」 「……名は、風が記憶する。お前がそれを忘れても、風のどこかに、残るだろう」 その言葉は、とても優しく、どこか寂しかった。 ぼくは、そっとその祠の入口に腰を下ろした。 ユウも隣に座り、何も言わず、ただ空を見ていた。 遠くで、雷のような音がした。 でも、それはただの風が山を越える音かもしれなかった。 「クネロの村は、あの丘の先だ。朝になれば、道が見える」 「……ありがとう」 「礼は要らぬ。ただし──忘れるな」 「……なにを?」 「この世界では、“名前”がいちばん最初に風に奪われる」 ぼくはそれ以上、何も言えなかった。 風が吹いた。ユウのフードが揺れ、目元の仮面が少しだけずれた。 その瞳だけが、どこか悲しげに光っていた。


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