SamuZai
茶

fanbox


とある芸術大学の相談室で

「ようこそ、学生相談室へ!」  塗装がところどころ剥げて錆が浮いた重いドアを開けると、銀色の髪をしたやけに背の低い女の子が妙にテンション高くわたしを出迎えた。  たぶんバイトの学生なんだろうけど、それにしてもユニークな子だ。まあ、変人には事欠かないのがうちの大学である。 「ここへ足を運んだ時点で悩みの解決は決まっているんですが、一応確認させてもらいますね」  何かおかしなことを言い出した。この相談室は神様か何かが運営しているのだろうか。それとも自分が悩んでいることを認められた時点で問題解決への道を踏み出しているとかいう類の言い分なのか。 「まずはお名前と学部を」 「マーガレット・レンフィールド。音楽学部二年生。器楽科、弦楽器専攻」  すると、男性の声がした。 「ずいぶん日本語が上手だな」  わたしが注意を払っていなかった方向を見ると、ぼろいソファに座っていた男子学生がいた。髪を長く伸ばし、着るものはよれよれのデニム。服や手は絵の具で汚れていて、いかにも美術学部の人間という出で立ちだ。  何事にもつまらなそうな声と顔。整った顔立ちだが目つきは悪い。 「五歳からこの国で過ごしてるから。親が日本支社に長年勤めてるの」  ただそれは、素っ気なく答えるわたしも大差ない。こんなはずではなかったのにという苦しみが全身を常に苛んで、周りの物事を素直に受け止めるような感受性がどんどん摩耗していっている。  それでいて、周囲に対して無関心ではいられない。心を閉ざして引きこもる気にはなれず、どうにかできないものかと、こんな学内の辺鄙な場所にある老朽化著しい建物の中の相談室なんて胡散臭いところに、吸い寄せられるように来てしまった。  きっとそれは彼も同じで、今の他愛ない質問も本来はもっと和やかな会話の糸口になれたのだろう。 「あなたの名前は?」 「ああ、悪い。阿賀海(あがみ)将広。美術学部二年、絵画科油絵専攻」  わたしたちのやり取りを、銀髪の少女はにこにこと眺めている。 「ではお二人のお悩みを聞かせてください。阿賀海さんは改めてもう一度」 「え……できれば、部外者には言いたくないんだけど」 「同じく」  なのに女の子は引き下がらない。 「まあまあ。最終確認みたいなものですので」  そう言われると、なぜかしかたないかという気になってくる。持っていたバイオリンのケースを低いテーブルに置くと、わたしもソファに腰を下ろした。 「……わたし、楽譜通りに弾くというのが苦手なの」 「なんだそりゃ?」  阿賀海くんが口を挟んでくる。 「まあ、普通はそう思うでしょうね。わたしだって、小さい頃は楽譜に忠実に演奏していたし」  でも、ある時、楽譜に外れた演奏をしてしまった時に思ってしまったのだ。こっちの方がいいんじゃないかと。 「楽譜は、結局のところメモみたいなものに過ぎないと思う。小説にしたって、例えば朗読する時に一言一句を忠実に再現する必要があるのかは検討の必要があるんじゃないかしら。もちろん絶対に外してはいけないところはあるけれど、本当にすべての音について揺るがせないんだろうか、作曲者の意図がその音符で本当に再現できるのか、もっと違う音を探ってみてもいいんじゃないか、そんなことを考えるようになってきたの」 「……あんためんどくさいな」 「自覚はある」 「てか、独奏ならともかく、合奏でそんなことやっていいのか?」 「……あまりよくない」  同級生の一人から言われた「いいかげんにしろよ、ソリスト気取り」という吐き捨てるような言葉が脳裏によみがえる。 「演奏の前に話し合えばいいかもと思ったんだけど、そしたらそしたで演奏者同士での解釈違いがあちこちで出てきて……却って混乱して、ちょっとすごいことになった」  阿賀海くんが、想像したのかげんなりしたような顔になる。 「人間関係までおかしくなってきて、でも自分がそこまで間違ってるとも思えないから謝ったり姿勢を改めたりするのも違う気がして……そのうち、疲れて、音楽自体を少し辞めたくなってきた」  でも、わたしには音楽しか、さらに言えばバイオリンしかない。音楽好きの裕福な家に生まれ、物心つく前から弓を握ってきた。握らされてきた。今さら他の何かなんて、思いつくこともできない。 「本末転倒じゃないか……って、俺に言われなくてもわかってるんだろうな」 「……少し意外ね。門外漢にはもっと批判されるかと思ってた」 「あまり他人事じゃないんだよ。細かいことは色々違うし、方向性としては真逆だけどな」  そう言うと、彼は話し始めた。 「俺は、細かく細かく細かく描きたいんだ」  語る口調も、眼差しも真剣だった。たぶんさっきまでのわたしと同じように。  そして、そんな彼をかっこいいとちょっと思ってしまった。 「俺の目に映る美しい光と色と形をできる限り詳細に再現したい。高性能のデジタル写真を撮ればなんていう奴もいるが、そうじゃない。レンズが捉えるものと俺の目に映るものは違うし、レンズが切り取るものと俺の手が描き取るものも違う」 「別に構わないじゃない。何が問題なの?」 「課題が終わらない。細部にこだわり過ぎて、普通のキャンパスを満足いくまで埋めきるには時間が足りない」 「……ああ。って、入試の時は?」 「さすがにその時は、制限時間の方を優先したさ。ここを乗りきれば好きにやれると思って」 「でもそうはいかなかった」 「あんたと同様、いっそ絵を辞めちまおうかとまで頭をよぎる時がある。でも俺は絵しか描いてこなかったから、そんな道はたぶん絶対選べない」 「似てるわね。やりたいこととしては恐らく正反対なのに」  枠をどんどん踏み越えたいわたしと、狭く深くどこまでも突き詰めたい彼。 「そうなんです!」  じっと黙っていた女の子がいきなり叫んだ。 「お二人は、あれこれ似てはいるけど逆の方向に悩みを抱えています。なので、一人ではどうにもなりませんが、二人いれば悩みは解決すると思うんです!」 「どうやって?」  呆れて訊ねた。慰め合い励まし合いでもすればどうにかなると言いたいのだろうか? 「はい、まずはこれを握ってください」  女の子は、一本の杖を取り出した。普通の棒とは違い、バトントワリングに使うもののように、両端が膨らんでいる。 「阿賀海さんはこちらの端を、レンフィールドさんはこちらの端を持ってください」 「こんなもんでどうなるってんだ」  ぼやきながらも阿賀海くんが一方の端を手に取る。わたしも吸い寄せられるようにもう一方の端を手に取った。  目眩のような感覚を覚えて、わたしは目をつむる。 *** 「はい、問題なさそうですね」  おかしい。  女の子の声が左から聞こえる。  彼女はわたしの右側にいたはずなのに。  思いながら目を開けると、目の前に『わたし』がいた。  いつもはうなじで束ねている、背中まで伸ばした金色の髪。白い肌に青い瞳。それなりに美しい顔立ち。演奏時のドレスほどではないが、日ごろからある程度フォーマルを意識したファッション。  そんなバカなと驚くけれど、目の前に突然鏡が現れたわけではなさそうだ。  その『わたし』もわたしを見て驚いているようで、口を開けて、でも何も言えず、わたしを見つめている。  そんな風に硬直していたわたしに、女の子は質問してきた。 「はい、あなたの学籍番号とお名前をどうぞ」 「え……a22a008-5、阿賀海将広」  いつものようにすらすらと答えてから、愕然とした。 「はい、あなたは」 「m22d182-3、マーガレット・レンフィールド」  次いで問われた『わたし』は、『わたし』の学籍番号をさらりと答える。答えてから、手で口を押さえていた。 「一週間は元に戻れないんですが、もし嫌でしたらここへ戻って来てください。いつでも元に戻れますから」  そう言うと女の子はわたしたち二人を相談室から追い立ててしまった。

Comments

ありがとうございます。 私も、やっぱり思春期の方がストーリーや展開や細かな描写など考えやすいなと改めて痛感しておりますが……当面は「新しい利用規約」待ちですね。

そうですよね。 私もその考え方 大好きです。 ホントは 体が劇的に変わっていくもっと若い世代ですけどね。 なかなか難しいですね。 頑張ってください。 応援しています。

丸井主将

コメントありがとうございます! しばらくは、現実日本舞台の場合は大学生の入れ替わりを軸に考えていこうかなと思います。私が自分で考える入れ替わりは、青春時代の不安定さと結びつくものになるのだなと気づきまして。 ちょっと振り回されてはいますが、よろしくお願いいたします。

なんか新しい。 新鮮な入れ替わりですね。 色々制限があってたいへんだと思いますが 頑張ってください。

丸井主将


More Creators