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【無料】メインストーリー2話 白霧の残像

「───というわけで、また君の担当をすることになった」

あの闘いから数日、俺は再びナツキの前に立っていた。

上司の命令を無視してナツキを助けたことで、リ・ガーズをクビになることも

覚悟したが、どうやらお咎めなしということらしい。

ナツキは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにいつもの溌溂とした表情になった。

「やったじゃん!君のサポートなら安心」

「……よろしく頼む」

軽口のやりとり。けれど昨日の重みは胸に残ったままだ。

“助けるな”という命令を破って、俺は彼女を助けた。その判断が何故か見逃された理由も、喉の奥に引っかかっている。

無線が鳴った。

「こちら管制。B3区商店街にて白い霧の異常発生。至急、現場へ。繰り返す──」

俺はナツキを乗せて、霧の発生現場へと急行する。

「普通じゃないね」

「あぁ、間違いなく魔獣の仕業だろう」

近づくほど、街の輪郭は薄紙で包まれたみたいに曖昧になっていく。

色鮮やかな看板も、通りの人波も、乳白色の靄に飲み込まれていた。

人々が道の真ん中で立ちすくんでいるのがかすかに見える。咳き込み、泣き声が混じり、クラクションの音も霧でかき消されるようだ。

窓を少し開けると、ひやりと湿った空気が滑り込む。

肌にまとわりつく冷気。鼻の奥に微かな甘さ。夏の終わりの匂いに似ていて、どこか化学の尖りが混ざっていた。

「これじゃ避難もままならない。視界は二メートル、いや一メートル台だ」

ナツキは拳を握り、前を睨む。

「……行くよ。人が中に閉じ込められてる」

「待て。無策で突っ込むのは危険だ。まず霧の性質を確かめる」

「危険って……!」

彼女の声に熱が乗る。

「閉じ込められてる人たちはどうするの! 早く助けてあげなきゃ!」

俺はハンドルを握る手に力を込めた。

「それはわかってる。ただ、きちんと分析をしてから──」

「じゃあ、あたしが中に入る! 君は外で分析して!」

ナツキの声が段々厳しくなる。けれど、考えなしにナツキを行かせるわけにはいかない。

「ダメだ。離れるのは危険だ」

「……君は慎重すぎ。ほんとに人を助ける気、あるの?」

そのひと言は針みたいに胸に刺さった。

息が一瞬止まる。俺は言い返す。

「あるに決まってる! でも、ちゃんと状況を確認してからじゃないと───」

けれど彼女は首を振り、ドアノブを掴む。

「……ごめん。あたしは待てない!」

バックルが跳ね、ドアが開く。白い靄が彼女を飲み込んだ。

「ナツキ!」

彼女は霧の中へあっという間に消えてしまった。

靄は音の角まで丸くする。

「出口はあっち! 転ばないように気を付けて!」

ナツキの声が、布越しのように遠い。応える誰かの声は方角が定まらない。

足音は吸い取られ、一歩先の地面の確かささえ曖昧だ。

俺は端末を取り出し、センサーを走らせる。湿度は飽和し、気温は平常よりわずかに低い。

粒径は水滴にしては細かい。揮発性化合物の値が跳ねている。

(水だけの霧じゃない。何かが混ざってる)

鼻の奥の甘さは消えず、舌の上に薄い苦味が残る。

白の底で陰影が濃くなった。背丈は成人の倍。背嚢みたいな器官が脈打ち、白い息を含んだ靄を吐き出している。

表面はぬめり、触手のような突起が音もなく空を探る。

「あれが原因か……」

ナツキの気配は、その影の手前で止まっていた。

霧の奥に、彼女の肩と腕の輪郭がぼんやり浮かぶ。

構えていたはずの拳は力なく下がり、足取りはふらつき、肩が小刻みに震えている。

荒い息が霧を揺らし、動けなくなっているのが一目で分かった。

背後で、触手の影が持ち上がる。振り下ろされる寸前だ。

「ナツキ、伏せろ!」

俺は反射的に飛び込んだ。

左手でナツキの手首を掴み、全力で引き寄せる。

右腕を彼女の背に回して胸元へ抱きかかえ、同時に自分の体を敵に向けて投げ出す。背中を盾に、地面へ落ち込む角度を選ぶ。

――バシィィン!

触手が俺の背中に直撃した。

石畳に叩きつけられるような衝撃が背骨を駆け上がり、肺の空気が一気に押し出される。

「ぐっ……!」

視界が白く弾ける。それでも腕の中のナツキだけは離さない。

そのまま横転して壁際へ滑り込み、片膝で体勢を作り直す。背後で触手が空を裂き、石を抉る音が響いた。

ナツキは俺の腕の中で震えていた。

「なんで……君が……! 怪我してるじゃん……!」

俺は荒い息を吐きながら、彼女をまっすぐ見た。

「……言ったろ。俺は人を助けたい。けど、それだけじゃない」

「……え?」

「お前もだ、ナツキ。お前が無事でなきゃ、この街は救えない」

声はかすれていたが、胸の奥の熱は揺るがない。

ナツキは目を見開き、俯く。肩がひとつ震え、唇を噛む。そして、顔を上げたときには瞳に強い光が宿っていた。

「……わかった。今度は君に合わせる」

「助かる」

背中の痛みが波のように寄せては引く。まだ動ける。動くしかない。

端末をもう一度操作する。

湿度100%、温度わずかに低下。

粒径は微細、TVOC(揮発性有機化合物)の値が高い。

鼻腔にまとわりつく甘い匂い。舌に残る薄い苦味。

(これは水だけじゃない……体液由来のエアロゾルだ。なら──熱に弱いはずだ)

確信が欲しい。

俺は腰のポーチから赤いフレアを引き抜き、ピンを抜いて霧へ投げ込む。

シュゴォッ!

地面で燃え上がる炎が赤光を放ち、瞬間的に周囲の霧が裂けた。

熱の渦に押しのけられるように、視界がぽっかり開く。

看板の文字や倒れたベンチの影が、輪郭を取り戻す。

「……やっぱり。熱に弱い」

俺は拳を握った。これで決定的だ。

見上げる。

商店街の屋根沿いに並ぶ非常用換気ファン。

火災時、煙を吐き出すための古い設備。普段は止まっている。

ビルの裏手にはボイラー室。蒸気配管がファンのダクトと近接しているのを、以前の地図更新で把握していた。

(換気ファンを起こし、蒸気をダクトへ流し込む。冷えた霧は一気に薄まって、視界が戻る)

「ナツキ。二十秒稼いでくれ。上の換気ファンを叩き起こして、蒸気を送る」

「二十秒……了解。今度は、君に合わせる」

彼女は霧の縁で一度だけ拳を握り直し、深く息を吸った。先ほどの焦りは、もうない。芯が通った顔だ。

俺は裏手へ走り、シャッターをくぐってボイラー室へ。

金属と古い油の匂いが鼻を突く。息が重くなり、喉の奥に苦味が残る。

錆びついた配電盤の蝶番を開くと、ギィィと嫌な音が室内に響いた。

震える指先で非常電源のブレーカーを一つ、二つと押し上げる。

赤いインジケータがぱちりと点灯し、闇に小さな灯りが生まれる。

「……よし」

息を吐き、次に蒸気配管のバルブをひねる。金属の擦れる音とともに硬い手応え。

流れが切り替わり、薄い蒸気が頬に当たって熱を伝えた。

残るは換気ファン。止まったままの羽根に手をかけ、カバーを強引にこじ開ける。

粉じんが舞い、額の汗にまとわりつく。固まった軸に指を掛け、全身で力を込める。

――重い。びくともしない。

歯を食いしばり、さらに押し回す。

ギギッ……ギィィンッ。

ついに軸がわずかに回り、次の瞬間、羽根が低い唸りを上げて回り出した。

リレーが跳ね、ファンが低い唸りで目を覚ます。

通信ボタンを押した。

「いくぞ。三、二、一──開放!」

屋根沿いの換気ファンが一斉に吠えた。

ボイラーで温められた熱い空気と薄い蒸気が、ダクトを抜けて商店街へ押し出される。

通路に沿って温度の壁が走り、白い霧がほどけるように裂け、乾いた“サッ”という気配が連鎖していく。

「──晴れた!」

視界が一気に戻る。

色を失っていた看板が、本来の派手さを取り戻し、逃げ遅れていた人々の顔に驚きと安堵が灯る。

白の中央、むき出しになった魔獣。

背嚢の器官に赤黒い脈が走り、そこだけが生き物の鼓動みたいに波打っている。

今なら見える。今なら届く。

「ナツキ、背嚢だ。そこを狙え!」

「了解!」

ナツキが地面を蹴る。

濡れた石畳を確かに踏み、身体は矢のように直線を描く。

さっきまで震えていた肩は、もう静かだ。視界がある。目的地がある。

筋肉の収縮が、恐怖の代わりに集中で繋がっていく。

拳が胸の前で一度だけ低く唸り、青白い光が宿る。線になって伸び、狙いを一点に束ねる。

「――インパクト・コア・ストライク!」

ドシュゥゥゥウンン!!!

閃光が背嚢を貫いた。

鈍い破砕音。

赤黒い脈が砕け、波打っていた鼓動が止む。

魔獣は空を掴むみたいに触手を伸ばし、次の瞬間、自分の影に引きこまれるように崩れた。

最後に残った白は、熱の流れに撫でられて静かに消えた。

◇◇◇

音が戻るまで、少し時間がかかった。

咳き込む声、「助かった」という安堵、泣いていた子どもが泣くのを忘れて口をあける間。

人々は距離を取り直し、出口へ向かって歩き出す。

ナツキは膝に手をつき、肩で息をしながら顔を上げた。

頬に貼りついた短い髪を指で払って、俺を見る。

「……ありがと。君が霧を晴らしてくれなかったら、あたし、負けてた」

「役割分担だ」

俺は背中の痛みに眉を寄せ、無理やり笑う。

「俺が分析する、お前が決める。それだけだ」

「うん……」

「変だよね。ずっと一人でやってきたのに、今は──君がいないと困るなんて」

「そういう日もある」

言いながら、胸の奥でわだかまりが一枚はがれ落ちるのを感じた。

彼女と俺の気持ちが同じ歩幅になった。それだけで十分だ。

避難の誘導が落ち着く頃、空は正午の透明さを取り戻していた。

風が吹き、遠くで風鈴が鳴る。季節の残響みたいな音が、さっきまでの異常を現実へ戻していく。

ナツキが空を見上げ、くるりと俺の方へ向き直る。

頬の湿りを親指で拭って、少しだけ照れくさそうに笑った。

「ねえ……」

「うん?」

「……次は、最初から一緒に考えよう。突っ走る前に。……そのほうが、もっと守れる」

「俺もそう思う」

右手を差し出す。

彼女は一拍置いてから拳を軽く当ててくる。小さく、はっきりと鳴る音。

「行こう、相棒!」

「ああ」

同時に一歩を踏み出す。

さっきまで白に呑まれていた通りが、人の気配で満ちていく。信号が青に変わり、世界がまた流れ始める。

背中の痛みはまだ残る。けれど、それも悪くない。あの瞬間、自分が何を選ぶのか、もう迷わないと分かったからだ。

建物の隙間にわずかに残る薄い白を、振り返らずに通り過ぎた。

次も、きっと大丈夫だ。一緒なら、乗り越えられる。

そう思えるだけで、前へ出る足取りは確かだった。

【無料】メインストーリー2話 白霧の残像

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